風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

中国の深謀遠慮

2020-06-10 21:47:41 | 時事放談
 国家安全法により、中国の国際社会への窓口(端的にはドル調達の窓口)とも言える国際金融センターとしての香港の存立が危うくなっている。中国への対内直接投資や中国からの対外直接投資の実に6割以上は香港経由である。香港に進出している米国企業は約1300社、香港在住の米国人は8.5万人にのぼり、果たしてアメリカに香港を見捨てる覚悟があるのか甚だ疑問だ。他方、中国も、ド田舎の海南島を(香港代替の)フリーポートにする構想があるようだが、中国ドメスティックの海南島にコモン・ローが支配する香港を代替するなど土台無理な話で、中国にも香港を見捨てる覚悟があるのか、これまた甚だ疑問である。
 そもそも香港における一国二制度は、鄧小平とサッチャーという二人の稀代の政治家によって交渉され、英国式の価値観を引き継ぎながら、中国に返還される妥協案として成立した。この絶妙なバランスの中で、中国は史上まれに見る経済成長を遂げ、香港はその恩恵を存分に享受して来た。西側からすれば、50年も経たない内に中国は香港式、すなわち英国式の価値観を取り入れるだろうと楽観していたと言われる。所謂Engagement(関与)論である(最近はDe-coupling論、あるいはPartial Disengagement論が語られるが、ここでは措いておく)。これは2001年、中国がWTOに加盟するときにも語られた(その西側のナイーブな夢が破れたのは、2017年の中国共産党大会だが、その話もここでは措いておく)。では中国の思惑はどうだったか。結論から先に言えば、西側とは全く逆のことを考えていたのではないかと思われる。これに関して、尖閣諸島の帰属問題を巡る思惑のことが思い出される。
 かつて田中角栄首相(当時)は周恩来首相(当時)との間で、尖閣諸島の帰属問題を棚上げにして、日中共同声明に調印し(1972年)、鈴木善幸氏は首相になる前に鄧小平副総理(当時)から「尖閣の将来は未来の世代に委ねることができる」などとかどわかされて、再び尖閣問題を棚上げにした(1979年)。この発言は、個別の案件で利害対立するばかりに、より大きな問題で纏まるものも纏まらないより、大局的見地から合意する中国人の知恵、すなわち美談として語られることが多いが、私にはとてもそうは思えない。当時は日本の国力が上で、交渉の立場上、中国には分が悪かったので、先送りされたに過ぎない、従って、これは美談でもなんでもなく、中国に丸め込まれに過ぎないと思うのだ。その証拠に、中国が大国化した今、当時の合意はなし崩しで、中国は尖閣諸島海域に侵入を繰り返し、既成事実を積み上げる行動をとるばかりだ。
 香港返還と尖閣領有の問題は、いずれも鄧小平氏が絡んでいる。今、習近平国家主席が、「中国の特色ある社会主義」を語るように、当時、鄧小平氏はいずれ中国が西側を凌駕すると見越し、50年を想定していたに違いないのだ。中国の深謀遠慮に対して、西側は徹頭徹尾ナイーブだったことになる。
 それはさておき、コロナ禍で追い込まれる習近平国家主席と、予測不能なトランプ大統領のことだから、香港を巡る駆け引きがどうなるのか、それに加え、国家安全法導入方針に対して安倍さんが先進7カ国(G7)による共同声明の発表を目指していると述べたことに対して、中国外務省が「日本側に重大な懸念を表明した」と、日本政府に抗議したことを明らかにしており、なかなか目が離せない状況になっている。

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