風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

エコノミック・ステイトクラフト

2019-10-11 22:28:30 | 時事放談
 最近、Economic Statecraft(以下ES)なる言葉を目にする機会が増えてきた。「経済外交策」とか「経済的国政術」と訳され、「経済手段を通じた国益追求」と紹介される。自由貿易を“国策”とする日本が、北朝鮮制裁以外に、自国の利益を追求するために独自に経済政策を実行するには心理的な抵抗が大きいと思われるが、少なくとも米国の同盟国として何等かの協調的な対応を求められる局面は、これまでもあったし、今後も増える可能性がある。
 今年の3月20日、甘利明氏を会長とするルール形成戦略議員連盟が、「国家経済会議(日本版NEC=National Economic Council)創設」を提言した(注①。なお、安倍首相に提出したのは5月29日)。米国の国家経済会議(NEC)に倣ったもので、この「国家経済会議は1993年にクリントン政権において、『軍事的安全保障』と並んで、『経済的安全保障』という考え方のもと、国家安全保障会議と同じ機能を果たすことを期待されて大統領令によりホワイトハウスに設立された。会議の役割は、ホワイトハウスにおいて経済政策の一貫性を維持する為、また、各経済官庁の調整を図って政策立案を行なうこと」(Wikipedia)とされる。今朝の日経には、国家安全保障会議(NSC)傘下の国家安全保障局(NSS)に経済担当部署を設けるとの報道があったのは、恐らくこのNECをイメージしているものと思われる。
 これと足並みを揃えるように、「経済安全保障」に関する組織の新設が続いている。経済産業省の大臣官房内に6月2日付で「経済安全保障室」が新設され、安全保障的な視点から技術・産業戦略を推進するとされる(注②)。外務省の総合外交政策局安全保障政策課の傘下に10月1日付で「新安全保障課題政策室」が新設され、経済・技術分野における安全保障政策に係る取組みを強化するとされる(注③)。さらに防衛省の防衛装備庁の傘下に「装備保全管理官」が新設され、防衛産業の情報保全の強化や海外への装備品輸出の際の技術流出防止を担うとされる。
 甘利明氏が所属するルール形成戦略議員連盟のブレイン的な組織と思しきものが多摩大学にある。ルール形成戦略研究所と言い、甘利明氏はその顧問兼シニアフェローを務め、所長である国分俊史氏(多摩大学教授)や井形彬氏(同客員教授)が積極的な発言を行っている。
 その一つは、昨年2月26日に「日本の『安全保障政策』に欠けている視点・・・『ES』とは何か」と題して、井形彬氏が東洋経済オンラインに寄稿したもので、先行すること2月1日、国分俊史氏とBrad Glosserman氏が米外交専門誌The National Interestに寄稿した“Japan's New National Security Economy”を下敷きにしている。他国が自国の意向に反する政策をとった場合に見せしめとして輸入制限したり、一帯一路などで援助受入国を借金漬けにして自国の意向に沿わない政策を取りにくくさせたりするなど、中国やロシアが多用し始めている経済外交を、米国はESと定義し、これに対抗するES戦略を描くべきである、といった議論がオバマ政権末期から安全保障政策専門家の間で高まっていたという。昨年初めには戦略国際問題研究所(CSIS)が、米国は「中国の挑戦」に対抗するために、より洗練されたESを用いる必要があると提案したほか、他のシンクタンクも同様の具体案を構想し始めているという。そして、主要な同盟国である日本について、これまでの安倍政権の安全保障政策を評価しつつも、経済的な手段を以て戦略的に地政学的な国益を追求するESの視点が抜け落ちており、民間企業と連携しつつ、安全保障に対してより広い視野をとるES戦略の構築を検討するよう提案している(注④)。
 昨年12月21日のWedge誌に寄せた論考「米国がここまで中国ハイテク企業を“恐れる”理由」で、国分俊史氏は、上記のような米国の動向を振り返りつつ、「米国がZTE(中興)を狙い撃ちして半導体の供給をストップした結果、中国のハイテク産業育成政策「中国製造2025」の推進を遅らせられることを見せつけたのは、まさに準備されていたESの発動であった」と述べる(注⑤)。
 さらに今年5月13日の金融ファクシミリ新聞紙上のインタビュー形式の記事「安全保障経済政策の確立急務」で、国分俊史氏は、「相手国の経済全体にダメージを与えるような経済制裁は戦争リスクを高めることから最終手段にすべきであり、まずはポリシーメーカーの急所に絞って発動することが、国家間の緊張を刺激することなく的確に影響を与える有効な手段となる」「私は米国の経済制裁チームと話をする機会もあるが、彼らは『ピンポイントで経済制裁をして相手の考えを正すことによって、戦争など国家間の大きな問題への発展を止める』という意識を明確に持っている」と述べる。ここで例として挙げられているのが、対ロシア制裁に違反したとして中国共産党中央軍事委員会で装備調達を担う装備発展部とその高官1人を米独自制裁対象に指定したもので、米国では、どの組織の誰をターゲットにすべきかというデザインが予め明確に描かれていると言う。更に、自由主義経済論の始祖アダム・スミスが国富論の中で喝破している「国防は経済に優先する」という思想が浸透している米国では、自由が生み出すバランスの崩壊が国防を脅かすようなら、バランスを取り戻すために一時的な保護主義は当然という前提も埋め込まれているとも言う(注⑥)。
 米国では過去10年来、中国の防衛産業や情報・通信産業に対する警戒感を強め、各種報告書が提出されてきた(米国防総省報告書2011年、米中経済安全保障委員会報告書2011年、米下院情報特別委員会報告書2012年、FBIカウンターインテリジェンスレポート2015年など。またペンス副大統領演説2018年10月4日の原型として、米中経済安全保障委員会報告書2015年、201年など)。その延長上に、「国家安全保障戦略」(2017年12月)と「国防戦略」(2018年1月)が位置付けられ、さらに中国の技術覇権ひいては軍事覇権を求めるかのような「能力」構築としての「中国製造2025」と、「意思」表示としての「国家情報法」(2017年6月27日公布、施行)や各種法制化が掛け合わさって、米国において急速に脅威認識が高まったものと理解される。
 ESという概念は、政治戦略・外交政策の「目的」より「手段」に注目するもので、目的を達成するための術策や方法、手段等が経済に関わるような国政術のことを言う。
 鈴木一人・北海道大学教授(国際政治学)は、最近の週刊ダイヤモンド(9月21日号)で、「経済ツールを使って、相手国に何かを強制し、自国の安全保障の目的を実現すること」「相手に対して、武力を使って何かを強いるのが戦争。経済を使うのがエコノミック・ステイトクラフトと言える。つまり戦争に限りなく近いニュアンスを持つ行為であり、相手国も国際世論も刺激する」と解説される。また同誌において、国際経済学の伊藤元重・東京大学名誉教授は、「経済は経済、政治は政治というこれまで通りのナイーブな考え方が通用しない現実が出て来ている。この現実は私たちのような経済学をやる人間も、既に認識し始めている」「経済と安全保障を完全に分けて議論することは出来なくなった。そういう世界の中で、日本だけ純粋な経済活動をすることは不可能である」と述べる。
 1985年にプリンストン大学のDavid A. Baldwin氏(Senior Political Scientist in the Woodrow Wilson School of Public and International Affairs)が、そのもののタイトルで書籍を出版されたものが古典的著作として知られており、最近でも、Ambassador Robert D. Blackwill氏とJennifer M. Harris氏の共著になる“War by Other Means”(2016年、Belknap Press)が出版された。
 David A. Baldwin氏が執筆したブリタニカ百科事典の用語解説(注⑦)によると、影響力行使の試みとしてのStatecraftは、
(1)economic statecraft
(2)軍事力の行使や威嚇によるmilitary statecraft
(3)交渉によって影響を及ぼすdiplomacy
(4)言語シンボルの意図的操作によるpropaganda
の4つに分類され、大抵の対外政策はこれらのツールの組合せである、とする。
 このうちのESには様々な方式があり、positiveなものとnegativeに分けられるという。positiveなものとは報酬やそれを約束するもので、特恵関税、補助金、対外援助、投資保証、外国投資に対する優遇税制などがあり、negativeなものとは懲罰やそれをちらつかせた脅しであって、禁輸(輸出拒否)、ボイコット(輸入拒否)、ブラックリスト掲載、独占購入、所有権剥奪(収用)、懲罰的課税、援助停止、資産凍結などが挙げられる。こうしたESは、戦争の準備・回避・遂行、民主化の推進、人権侵害への懲罰、共産化の推進または反対、経済開発の促進または妨害、政権交代の抑止または推進など、さまざまな対外政策の目的を達成するために利用されるとする。
 他方、Ambassador Robert D. Blackwill氏は、その著作でESの「七つ道具」として以下を挙げる(週刊ダイヤモン9月21日号)。
(1)貿易 貿易相手国に関税を課したり、特定品目の禁輸措置を行ったりする
(2)投資 地政学的な目的を念頭に他国産業への投資や企業買収などを実行する
(3)制裁 経済的手段を通じて制裁を加え、相手国に打撃を与えようとする
(4)サイバー攻撃 インターネットを介したサイバー攻撃を用いることで混乱に陥れる
(5)経済援助 軍事支援や人道支援に資金を投じ、戦略的な影響力を持とうとする
(6)金融・通貨 金融政策や通貨のコントロールを通じて、支配力を高めようとする
(7)エネルギー・コモディティー 原油などのエネルギー資源や鉱物資源、農産品といったコモディティー(国際商品)の保有国が、他国への供給停止などを振りかざす
 鈴木一人教授は暫定的にESを以下の4つの態様に分類する(注⑧)。
(1)他国の行動や政策を変更させようとするES・・・北朝鮮やイランの核開発、イラクの大量破壊兵器の開発に対する制裁など
(2)他国の行動に対する懲罰としてのES・・・米国のキューバに対する制裁(オバマ政権による制裁解除とトランプ政権による制裁再開)や、米国のイラン核合意からの離脱に伴う制裁の再開、トランプ政権によるベネズエラ制裁、ロシア機の撃墜に対してトルコに行った制裁など
(3)外交・安全保障上の圧力に対する報復・反発としてのES・・・1970年代に石油ショックを引き起こしたOAPEC(アラブ石油輸出機構)によるイスラエルの同盟国・友好国に対する原油輸出の禁止、中国が日中関係や米中関係の悪化の際にレアアースの輸出を規制した事例、EUが実施したロシア制裁に対してEUの農産物の輸入を対象とした逆制裁を実施するといった事例など
(4)覇権争いのためのES: かつて日本が急速に経済成長し貿易不均衡が生まれた際に、アメリカが通商法を用いて日本に圧力をかけて貿易摩擦を展開したこと。現在では中国を相手に、報復関税や投資規制に踏み切ったり、第五世代携帯電話ネットワーク(5G)の開発から中国企業を排除したりするなど、覇権争いのために経済的手段を用いる行為など。
 戦後日本は、憲法上の制約や軍事を忌避する社会的制約のもとでの政治的選択として、経済的価値の追求を眼目とする経済外交を基調としてきた。経済「目的」の追求に焦点を当てつつ、その「手段」は外交交渉だけではなく、戦後初期の賠償やそれ以降の政府開発援助(ODA)など、positiveなESを活用して来た。
 新興国の台頭により、経済のパワー・バランスが変化し、日本の経済力が相対的に低下するとともに、安全保障環境が厳しくなる中では、非軍事的手段による安全保障を重視する日本が、自由貿易を基本としつつも、輸出管理の運用の見直しとして韓国に対して見せたように、独自の経済力の行使すなわちESにより、言わば経済戦争から日本企業を保全すると言う意味では飽くまで「自己防衛的」に、外交目標を達成する局面が増えて来ざるを得ないと思われる。注視されるところである。

注①  https://amari-akira.com/02_activity/2019/03/20190320.pdf
注② https://diamond.jp/articles/-/213058
注③ https://www.sankei.com/politics/news/191001/plt1910010060-n1.html
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007868.html
注④  https://toyokeizai.net/articles/print/209782
https://nationalinterest.org/feature/japans-new-national-security-economy-24307
注⑤ http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14826
注⑥ https://www.fn-group.jp/933/
注⑦ https://www.britannica.com/topic/economic-statecraft
注⑧ http://jair.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/committee/no205recruit.pdf
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