風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

子供は夢、若さは希望

2011-06-08 00:21:44 | 日々の生活
 最近は激しい運動をしなくなりましたし、本当は日本酒を飲み過ぎると、ロレツが回らなくなったりするのですが、そんな自分が情けなくもあり、深酒もしなくなったので、余り年齢を感じることはありません。ところが指先のちょっとした切り傷はちょっと舐めておけば放ったらかしでも・・・という訳に行かなくて、化膿止めを塗って一日バンドエイドを貼っておかないと暫く腫れが引かないなんてことになりかねなくて、体力の衰えを実感させられます。
 前置きが長くなりましたが、こんな年齢だからこそ、今回の大震災で被災した地の人々を、多くのスポーツ選手や芸能人などの著名人が慰問に訪れ、とりわけ子供たちに笑顔を与えられているのが嬉しくもあり、また、なんとも羨ましくもありました。子供は夢であり、若さは希望でもあると、つくづく思います。それは子供におんぶにだっこになろうとか、年金不安があるので若い世代にもっと頑張って貰いたい、などと下心があるかどうか以前の、素朴な感情です。ただ若い女性や赤ん坊がいるだけで場が和むように、子供たちが元気になると、周囲が明るく元気になります。
 それは、子供たちが、“今”を懸命に生きていて、“今”が未来永劫続くことを疑ったりしないからでしょう。将来は、単に未知の時間が待ち構えているだけで、私たちオトナのような不安のカケラもありませんし、失敗を恐れることもありません。実際に、子供の頃を振り返ると、自分が15歳やハタチになることなど想像できず、360度、見渡す限り、ただ無限の荒野が広がっていた印象ですが、今の私は60歳になって引退して時間がたっぷり出来たら何をしようかと想像するほどに、歩む道はケモノ道のように、先が見えています。こうして子供たちの屈託のない笑顔を見ていると、昔の自分たちだってそうだったことを思い出し、揺るぎない未来と希望を連想できるからかも知れません。そして私たちオトナは思うのです、この子供たちが幸せに生きる未来を、この社会を、日本という国を、しっかり守り、引き継ぐ義務があるのだと。
 私の会社は、業績が低迷し、新入社員を大量に雇う余力がくなってしまい、私が所属する今の組織にはここ何年も新人が入ってこなくて、毎年、皆、年を重ねて、組織も老いていくのを感じます。かつてのニッポンの大企業で、同じような閉塞感に苛まれているところは、少なくないのではないでしょうか。成長する人間の組織が新陳代謝が必要なように、会社や様々な組織も健全さと活力を保つためには新陳代謝が必要です。勿論、年を重ねてこその経験があれば。無駄な試行錯誤を経ることなく、ある結論にワープすることが出来るのを感じます。しかし、経験は失敗を避けることが出来ても、未来の成功を確約するものではありません。今の日本に必要なことは、失敗を避けることが出来る経験よりも、若さ故の無謀とも言えるチャレンジなのだと思います。
コメント
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