風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

初めての上海

2011-06-26 11:01:47 | 永遠の旅人
 昨日に続いて、出張で訪れた中国の都会の素描です。
 上海には一日強しかいなくて、実は殆ど印象に残っていません。北京で、現代の中国は、もはやかつての中国ではない(勝手なイメージとしてもっている中国ではない、という意味)という印象をまざまざと見せつけられた後で、上海に入ったものですから、アジアの大都市のひとつであることをごく当たり前に受け入れたせいでもあります。ただ、夜、ホテル界隈を散歩すると、小奇麗なブティックに混ざって「楽太郎」なる六代目・圓楽の居酒屋店をはじめとして日本風の小料理店も多く、北京よりもずっと開放的なさばけた雰囲気は、そこはかとなく感じられます。
 実際に北京と上海は仲がよろしくないようで、北京では渋滞緩和のため、ナンバープレートの番号による交通制限が今も継続されている話は昨日のブログでも触れましたが、更に公共交通機関の値段を極端に安くして、そちらに誘導しようとしているらしく、そこに上海が収めた税金が投入されていると言っては上海の人たちが憤慨している、といった塩梅です。さらに、夜の会食で隣に座った、山東省の省都・済南から来た人に言わせると、中国四大料理は、日本人には北京・上海・広東・四川として知られますが、北京にしても上海にしても、誇れる地場料理などありはしない、実態はそれぞれ山東料理や揚州料理をベースに各地から集まった料理から出来たものだと言うことになってしまいます。さながらお国自慢ですが、山東省と言えば青島ビールだけでなく、省としての経済規模で広東省に次ぐ全国二位を誇り、かつては魯の国としても知られ、孔子廟もある孔子、孟子、孫子、諸葛孔明などを輩出した由緒正しき土地柄ですから、むべなるかな・・・。
 上海で、唯一と言って良いほどにちょっと驚かされたのは、出発の朝、まだ渋滞が始まらない空港に向かう道すがら、タクシーの窓から上海万博の中国館が見えた時でした。今回は短期間の出張だったため、ロクに地図を見ていなくて、いまひとつ上海の地理に自信がないのですが、どうも上海万博は上海の街の中心地帯で開催されたようなのです。大阪万博は、ご存じの通り、郊外の千里丘陵を切り開いて開催されました(因みに私の母校の高校の体育祭で、3学年10チームがそれぞれ竹を土台にした3m前後の大きさのマスコットを制作するのは、その当時、切り取った竹が大量に発生したことに由来しますが、余談です)。そこには開発独裁ならではの国家権力の強大さがチラつきます。
 最後に中国らしさ?を感じたエピソードをひとつ。日本へのお土産は、帰国便が出る空港で最後に買うのを通例にしていて、順に店を回った挙句、ゲートのすぐ傍に一軒の土産物屋が飛び地のようにポツンとあるので覗いてみると、買い忘れて訪れる客を狙ったかのように、同じChinese Wine(所謂紹興酒)でも他店の二倍の値段をつけているのを発見して、なんともアコギなところが、“らしい”と思ってしまいました。周囲との秩序を重んじあるいは長期的な関係を大切にする日本人は、これではリピーターは来ないと心配しますが、個人主義的また刹那的な中国人は気にしないのでしょうか。
 上の写真は、今回使い残した中国のお札です。1人民元(12円強)札まであるのが、日本との物価レベルの違いを想像させます(勿論、1人民元コインもあります)が、現地駐在員によると生活感としては日本の物価の三分の一くらいだと言っていました。また、国のお札にはいろいろな偉人が印刷されるものですが、毛沢東ばかりというのも、国づくり伝説を今なお訴求し続けなければ国としてまとまれないかのような危うさをつい連想させます。
コメント
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