友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ひとり暮らし

2021年08月21日 17時49分50秒 | Weblog

 朝、孫たちとのラインで、茨城の小1の孫に「きょうのよていは?」と訊ねた。すると、「今日は自由です」と返信があり、室内に張ったテントの中で絵本を読んでいる写真が送られてきた。「テントの中でいつまで居られるか、楽しみです」とボイスメッセージが届く。

 「ひとりで生活しているみたいで楽しみです。勉強したり、本読んだり、ぐうたらしています」と正直だ。茨城も緊急事態宣言となり、公共施設は閉鎖され、公園に出かけることも出来ないようだ。夏休みの子どもたちの楽しみを奪ってしまっている。私は右の肩から首筋にかけて、少し動かすと相変わらず痛みがあり、どういう訳か今朝は右の背中の筋肉も痛い。

 まるでかどうか知らないけれど、ワクチン接種の副作用のように何もしたくない。何もすることの無い老人は大方そんな理由を考えてボーとしている。幸いにも、甲子園で高校野球が行われているから、テレビに見入っている。4対3のハラハラドキドキに多少興奮しながら、つまらないなと呟いているヘソ曲がりだ。

 小1の孫娘は、テントの中で「ひとり暮らし」を楽しんでいるが、老人はひとりなのに何も楽しむことが無い。こういう時は本を読む気力も湧いて来ない。我が家はまだカミさんとふたり暮らしだから、会話も変化もあるけれど、ひとり暮らしの人はどうしているのだろう。マンションのひとり暮らしに女性が多いのは、彼女たちの生きようとする「意欲」の強さにある。

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スマホの時代でも変わらない

2021年08月20日 17時58分09秒 | Weblog

 天気の変わりが早い。長女が持たせてくれたスマホが大変役に立っている。天気のマークを押すと、「30分後に雨が降り出します」とか「雷雨が近づいています」とか、予報がとてもきめ細かく正確だ。洗濯物を出したり入れたり、燃えるゴミを出しに行ったり、スマホに頼り切っている。

 昼過ぎに電話がかかってきた。「居間の電灯が消えかかっているので、取り換えてもらおうとシルバー人材センターに電話したけど、そういうサービスはやっていないと言われて困ってしまった」と言う。ひとり暮らしで、自分では替えられないという相談である。

 行政がひとり暮らしの人のために、そうしたサービスを行っているはずだが、断られて困っているのなら何とかしなくてはならない。友だちに電話したら、「いいよ、今からでも」と言うのでふたりで訪問した。確かに居間の蛍光灯が点いたり消えたりしている。

 友だちが蛍光灯のカバーを外し、蛍光管を取り出して、「これを新品に替えればいい」と言い、「買って来てあげるわ」と電気屋へ走る。私は残って、依頼者の話を聞く。「エアコンは2台取り換えた。冷蔵庫も買い替えた。テレビの映りが悪くなってアンテナコードを替えてもらった」などと話す。

 ひとり暮らしの人が多くなった。20年ほど前に、私が自治会長を務めた時、「ワンコインで何でもやります」事業を行ったが、その時は依頼が余りなくて立ち消えになってしまった。友だちに「事務所がもっと簡単に応じてくれるといいのだが」と呟くと、「それはムリだ」と言う。

 ひとり暮らしの人へサービスを、管理事務所の業務としてやってもらうことは出来ないのだろうか。互助が理想だが、そう出来ないのであれば、マンションの中でボランティア団体を作るしかない。スマホの時代でも、「手作業」がやっぱり必要なのだ。

 

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しっかりと自分の意思を持つ

2021年08月19日 17時45分37秒 | Weblog

 新型コロナの感染者が全国で急増している。首都東京の5534人を筆頭に、各地で増えている。医療先進国と言われてきた日本なのに、受け入れるベッドが無くて、病院に入院できずに自宅療養となる感染者は増える一方だ。

 医療体制は国の責任で作るものなのに、個々の医療機関に「お願い」している現状では後手に回るしかない。医療機関は奉仕団体では無いので、採算を無視することは出来ない。街中のクリニックを除く医療機関が全て「国立」なら、国の責任で万全な体制が出来たのかもしれない。

 一般市民はこれまで通り、ワクチン接種を受け、マスクを着用し、外出を控え、家族以外の人との会食は避け、人が多く集まるような場所には行かず、ジッと耐える以外ない。それでも買い物は3日に1回にし、労働はテレワークにせよという。

 どんなに鬱陶しくても、大方の人は政府の指示に従っている。ところがコロナ禍は収まる様子はない。「法的にもっと強力な規制を」という声が上がって来た。「緊急事態=有事」と見做し、「憲法改正をすべき」という人々もいる。

 戦争放棄を謳った日本国憲法を変えたいと思う人々は絶好の機会とばかり、「緊急事態に対応した強力な法的手段は憲法改正しかない」と主張する。たとえ今すぐ憲法改正に辿り着かなくても、コロナ禍を持ち出して「緊急事態=有事」の風土づくりが進められている。

 しっかりと自分の意思を持っていなくてはならない。

 

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言論・表現の自由は絶対に崩してはならない

2021年08月18日 17時44分01秒 | Weblog

 結局、小6の孫からの昨日のラインは、あの子の悪戯だった。「私、今日が命日かも」とメールが届いて、ジジババも姉も叔母もビックリしてしまった。何が起きたのか分からないが、大変なことになっていると思った。姉が「どうしたの?」と聞き出して、友だちとのラインのやり取りで、「殺してやる」と相手を怒らせてしまったようだと理解した。

 姉が「すぐ、謝りなさい」と指示したが、「マジでやばいよ。殺しに来るよ」とおびえている。何とか姉のメールで事態は収まったように思えた。写真を撮って送ったようなことを会話していたので、「写真のやり取りはダメ。トラブルになるよ」と注意した。夜になって、小6の孫から「ごめんなさい」のメールが届いた。

 姉や叔母からいろいろ聞いた母親は、父親と一緒に「何があったのか」と問い質したのだろう。ただの遊びのつもりで送ったメールが、両親からこっぴどく叱られることになって、きっと彼女は戯言の怖さを知っただろう。悪戯心から、ビックリさせるつもりが、思わぬ事態になってしまい、本人の方がビックリなのかも知れない。

 みんなが自分を本気で守ろうとしたことも理解しただろう。人を傷つけないと絶対に守って欲しい。面白がって行ってしまう言動を今一度考える人になって欲しい。人は傷つきやすい。何がきっかけでとんでもない事態になるかも知れない。そうならないためには、考えることの出来る人になることだ。

 SNSは凄いツールだ。誰でも世間に向かって発信できる。放送局しか持っていなかった機能をたった小さな道具で、言いたい放題発信できるから言論の平民化と言える。けれど、顔が見えないから、どうしてそう発信するのかが分からない。規制ができれば機能は低下してしまう。言論・表現の自由は絶対に崩してはならない。

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SNSは怖い世界でもある

2021年08月17日 17時44分12秒 | Weblog

 凄い勢いで雨が降ってきたが、急に止む時もある。そんな間を見計らって、燃えるゴミを集積所へ持って行った。日本列島が雨雲に覆われているようだ。ザァーと強く降ったり、雲に切れ目ができたり、変な天気が続いている。

 午前中、病院へ行って来た。退院後の初めての診察である。医師は傷口を観察し、「きれいに治っていますね。もう、これは剝がしましょう」と言って、傷口を覆っているフイルムを剥がしにかかる。「痛いところや気になることはありませんか?」と、訊ねてくれるが何も無い。

 今晩からゆっくりと風呂に浸かることができる。夏だから、朝のシャワーは快適だったが、それでも湯舟に浸かりたいと思うのは日本人だからだろうか。自分たちの感覚を絶対視して、シャワーで済ませる人々を下に見てしまう傾向もあるようだ。

 小6の孫がラインで、「私、今日が命日かも」と伝えてきた。友だちとのやり取りで、気に入らないことをしてしまったらしい。「マジでやばいよ。殺しに来るよ」とおびえている。なぜ、どうしてそうなったのか、ジジババにはさっぱり分からないが、結婚している上の孫が上手に対応していた。

 相談できる姉がいてよかった。私にはSNSの世界はさっぱり分からないが、面と向かってのやり取りが無いだけにとても怖い世界だ。「殺してやる」と言われて怖がらない人はいない。友だちなのにどうしてそんなことになってしまったのか、歳の近い姉でなければアドバイスは出来ないだろう。

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時間はこうして流れていく

2021年08月16日 17時11分51秒 | Weblog

 早朝の午前5時、ドーンと大きな衝撃があり、下に落ちるような錯覚があった。地震の前触れかとカミさんを起こし、身構えるが何事も無かった。午前8時過ぎ、今度は横揺れがした。いずれも震源地は滋賀県の北部だった。以来、揺れることはないが、何かの予兆のようで不気味だ。

 卒業した高校の同窓会から、「校庭の人工芝化募金」の要請がきた。母校のためだから募金はやぶさかではないと思った。思い出がいっぱいある高校だ。グランドも懐かしい。生徒会長を務めた時、プールの起工式があったし、サッカー部の全国大会の出場もあった。

 意固地になることは無いと思いながら、あのグランドが人工芝に代わってしまうのかと思うと賛成できない気になった。グランドを天然芝で覆うというのなら賛成だ。高校の隣りにあったキリスト教の教会の前庭は天然芝で、私たちはよく芝刈り機を回して刈ったものだ。

 歳を取ると意固地になるようで、他人のことがやたらに気に障る人もいる。「若い時と同じように、セックス目的の恋愛やスポーツやウェイトトレーニングに、年甲斐もなく励んでいる人を目の前にすると、『アナタ、無理してない?』と声をかけたくなる」と言う。

 「ジーパンにスニーカーという若者なみの格好で、周囲を面白がらせようと若者言葉で話しかけているのを見かけ、私はやっぱり、自分をアピールするのはそこじゃないだろうと言いたくなってくる」そうだ。それってどう見てもヒガミ根性だと思う。

 セックスも出来ない、恋愛も出来ない、スポーツも出来なくなった自分がいる。なのに、それを自覚せずに、アタックしている他人に自分を見ているのだろう。誰でも歳は取る。仕方のない現実だ。人はそれぞれ、自分は自分の道を行くしかない。

 地震や洪水や熱波や、何が起きるか分からない。慌てず、ジッと待つしかない。明日は手術後の検診で、傷口に貼られたフイルムをはがしてもらえる。明日の夜は、ゆっくり風呂に浸かることができる。時間はこうして流れていく。

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大人は反戦を決意しなくてはいけない

2021年08月15日 17時30分24秒 | Weblog

 戦没者追悼式のニュースを見る度に、亡くなった人はどれだけの人数だろうと思う。兵隊だけでなく、民間人も含まれているのか、日本人だけでなく外国人も数えているのだろうか。空爆のような無差別殺戮では、正確な数字は数えられないのではないかと思う。

 私よりも5つ歳上の人なら戦争体験を語ることができるだろう。マンションの友だちから子どもの頃に、戦闘機から機銃掃射を受けた話を何度も聞いた。運動場をイモ畑にして、イモで飢えを凌いだとも聞いた。戦線が拡大した陸軍の戦死者で一番多かったのは、飢餓とはなんとうい悲惨か。

 私は子どもの頃から、戦争に向かわせた人たちが責任をどのようにとったのかに関心があった。けれど戦争責任はウヤムヤのままだ。アメリカ軍による軍事裁判はあったが、戦争を勧めた人たちや支持した人たち自身による検証はあったのだろうか。

 終戦という表現も曖昧だ。なぜ敗戦記念日としなかったのだろう。戦争体験が語り継がれることは大事だと思うけれど、やがて語り部もいなくなってしまう。日本は憲法で戦争放棄を宣言した。これを押し付けられた憲法だから、自主憲法に改正せよと言う人たちがいる。

 軍隊を持てば戦うことになる。先日、豊田市の中学生が新聞に、「戦争がひとたび起これば多くの人の命が次々と奪われてしまい、戦地となった環境はことごとく破壊されてしまう」と、戦争に反対する記事を投稿していた。中学生の意見は正しい。大人はそう決意しなくてはいけない。

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ツクツクボウシもビックリしているかな

2021年08月14日 17時32分36秒 | Weblog

「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」とセミの鳴き声が聞こえた。「ジージー」とか「ジャージャー」では無い。そうか、もうお盆なんだからツクツクボウシが鳴くんだと妙に納得した。子どもの頃、住んでいたのは材木屋の倉庫を改造した部屋で、その北側は崖で林になっていた。

 夏はセミの宝庫だった。あの頃はどこへ行ってもセミがいて、けたたましい程に鳴いていた。アブラセミが一番多かったが、8月になるとクマゼミの少しドスの効いた鳴き声に変わり、お盆を過ぎるとツクツクボウシが鳴くようになった。

 今朝も雨雲が空を覆い、梅雨のように雨が降っていた。テレビを観ていると、長女たちが住んでいる地域に洪水警報が出ていた。私はスマホで、「皆さん、おはようございます」と打ち、「行動は慎重に、警戒は怠りなく」と送った。そして、長女の6年の娘に「今日の予定は?」とメールした。

 孫から「宿題を沢山やらなきゃいけないんだァ」と返信がきた。するとお昼にピザトーストの写真が送られてきた。地元の食材を使って料理するという宿題の1つらしい。地元の食材だから、野菜の煮物を想像するのは時代遅れなのかも知れない。

 昨日、義弟の所へおはぎを持って行った時も、「そう言えば、子どもの頃、お盆におはぎをよく食べたわね。お母さんも作ってみえていた」と義弟のカミさんが懐かしがって言った。今はおはぎを作る家は無いのかも知れない。

 長女から「災害に備えて、市に登録してね。ラジオの時代ではないからねぇ」とメールがきた。安否確認などはスマホの方が手っ取り早いし、手間も省けるということらしい。時代はどんどん変わっていく。ツクツクボウシもビックリしているかな。

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お盆の入り

2021年08月13日 17時47分19秒 | Weblog

 お盆の入りとなってしまった。カミさんの実家は、そして我が家も、禅宗なので夕方には迎え火を燃やし、ご先祖の霊を迎えるのが風習だった。今年は昨年に続いてコロナ禍で集まりが出来ないばかりか、雨で迎え火も出来なくなった。

 お盆には先祖の霊が戻って来るという考えはいつから始まったのだろう。仏教でもキリスト教でも、先祖を尊ぶことは教えているが、霊が戻るというのは誰の発想だったのか。確かに、父がいて母がいて、そのまた父がいて母がいなければ、自分は生まれていない。

 お盆の入りというので、カミさんの実家におはぎを持って、お参りに行って来た。義弟は町内の役員をしているので、住民の人から「もっと簡単にワクチンの予約ができないか」と問われ、「役所に出かけて聞いてみた」と話す。

 「役所の人は、『貴方の言うように、やり方を書いて回覧して、その時に、その方法では予約できない事態が生まれたら、余計に混乱を招く』と言われた」と残念がる。「当初からワクチンの数に合わせて予約券を発送していれば、こんな混乱は無かったのに」と自説を示す。

 ワクチンの後は、孫と曾孫の披露話で、いかに可愛いかで盛り上がった。孫や曾孫の話題は罪が無い。けれども、まだ幼いから可愛いですむが、大きくなっていけば当然だが年齢の差が出てくる。子どもを立派な人に育てたいとは誰もが願うが、余りに干渉すれば反発も大きい。

 自由に伸び伸びとさせてあげればいいのだが、ついつい過干渉になってしまう。自分の子を信じて、羽ばたかせて欲しいとジイジは願う。

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そう思えば気楽なものだ

2021年08月12日 17時21分01秒 | Weblog

 甲子園で行われている全国高校野球大会。今日の第1試合は秋田の「明桜」と北海道の「帯広農」だったが、雨降りのためにノーゲームとなった。あんな雨の中でやらせるのは気の毒だったので、中止は的確な判断だったと思う。

 けれど、押していた「明桜」に、再試合が「吉」となるかは分からない。昨日の第2試合、「広島新庄」と「横浜」は圧巻だった。野球の醍醐味を充分に味合わせてくれた。「新庄」の1番手の投手に7回まで「横浜」は無得点で、2番手投手からも点が取れなかった。

 強打の「横浜」はどうしても得点できない。9回表に「新庄」は1点を追加し、これで決まったと思った。9回裏、「横浜」に無死から連打がうまれたが、2者が凡退し、2アウト1・3塁で1番打者に回った。1年生ながら1番を務めるが、166センチ63キロと小柄だ。

 ホームランが出ない限り「横浜」は勝てない。無理だなと思った瞬間、打球はグングン伸びてレフト側のスタンドに飛び込んだ。奇跡としか思えない、9回裏2死2ストライク(?)からの逆転3ラン。長嶋茂雄さんが「野球は筋書きのないドラマ」と言ったけれど、本当に凄い試合だった。

 第4試合は、愛知の「名電工」と宮城の「東北学院」だった。当然、名電工が勝つと思っていた。ところが1番手の投手が3回に3点を先取され、5回にも2番手の投手が2点取られた。いや、まだまだ逆転劇はあり得ると見守った。

 名電工は4回と7回・8回に1点ずつ取ったもののここまでだった。運が味方する時もあれば、運に見放される時もある。信じて努力することだと言うけれど、人生もスポーツもいろいろだ。そう思えば気楽なものだ。

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