友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どこで、どう絶えるのか、草花たちにも定めはある

2021年08月29日 17時29分39秒 | Weblog

 朝の涼しいうちに、ルーフバルコニーに出て水遣りをする。水遣りをしながら花を見ていると、植えたことの無い花が咲いている。昨年の春に花の苗を買ったが、今年は余り買わずに我慢した。自分がどれだけ世話ができるのか不安があった。

 1年草だと思っていたペチュニアは年を越し、新しい子孫を増やしていた。八重のペチュニアが生まれていたのにはビックリした。たまたま良い所に落ちた種は親以上に成長するが、日陰だったり土が悪かったりすると、可愛そうなくらい痩せ細い。

 午後は甲子園の決勝戦を観た。多くの人の期待に応えて、和歌山と奈良との智弁の兄弟校対決になった。これもクジ運が悪ければ、優勝決定戦での対決にはならないし、いくら強力なチームでもミスが出たり、ケガ人が出たりすれば勝機を逃すこともある。

 「繰り返しやって来たことは良い結果を生む」と解説者は言う。試合を観ていると、そうだろうなと納得できる。スポーツが好きな人は、繰り返し練習ができる人なのだろう。どうも私にはそう言う真面目に努力する力が備わっていないようだ。

 マンションのひとり暮らしの高齢者の話から、もし自分たちがひとりになったならどうするかという話になった。私は「即、施設に入る」と答える。長くは生きたくないけれど、ひとりで居ることも耐えられない。どこで、どう絶えるか、草花たちにも定めがある。

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