友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

時間はこうして流れていく

2021年08月16日 17時11分51秒 | Weblog

 早朝の午前5時、ドーンと大きな衝撃があり、下に落ちるような錯覚があった。地震の前触れかとカミさんを起こし、身構えるが何事も無かった。午前8時過ぎ、今度は横揺れがした。いずれも震源地は滋賀県の北部だった。以来、揺れることはないが、何かの予兆のようで不気味だ。

 卒業した高校の同窓会から、「校庭の人工芝化募金」の要請がきた。母校のためだから募金はやぶさかではないと思った。思い出がいっぱいある高校だ。グランドも懐かしい。生徒会長を務めた時、プールの起工式があったし、サッカー部の全国大会の出場もあった。

 意固地になることは無いと思いながら、あのグランドが人工芝に代わってしまうのかと思うと賛成できない気になった。グランドを天然芝で覆うというのなら賛成だ。高校の隣りにあったキリスト教の教会の前庭は天然芝で、私たちはよく芝刈り機を回して刈ったものだ。

 歳を取ると意固地になるようで、他人のことがやたらに気に障る人もいる。「若い時と同じように、セックス目的の恋愛やスポーツやウェイトトレーニングに、年甲斐もなく励んでいる人を目の前にすると、『アナタ、無理してない?』と声をかけたくなる」と言う。

 「ジーパンにスニーカーという若者なみの格好で、周囲を面白がらせようと若者言葉で話しかけているのを見かけ、私はやっぱり、自分をアピールするのはそこじゃないだろうと言いたくなってくる」そうだ。それってどう見てもヒガミ根性だと思う。

 セックスも出来ない、恋愛も出来ない、スポーツも出来なくなった自分がいる。なのに、それを自覚せずに、アタックしている他人に自分を見ているのだろう。誰でも歳は取る。仕方のない現実だ。人はそれぞれ、自分は自分の道を行くしかない。

 地震や洪水や熱波や、何が起きるか分からない。慌てず、ジッと待つしかない。明日は手術後の検診で、傷口に貼られたフイルムをはがしてもらえる。明日の夜は、ゆっくり風呂に浸かることができる。時間はこうして流れていく。

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