友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今日は「広島原爆の日」

2021年08月06日 17時32分38秒 | Weblog

 午後の茹るような暑さの中、燃えるゴミを持って集積所へ向かった。こんなに暑くてはゴミ出しに来る人はいないだろう。セミの鳴き声だけが聞こえる、まるで死んだような世界だ。集積所に多くのゴミ袋が置いてあったが、そのうちの1つが放り投げられたためか、塊から離れてひっくり返っていた。

 いつもなら拾って積み直しておくのに、暑さとゴミの臭いで出した手を引っ込めてしまった。帰りがけに婦人がひとり、ゴミ袋を持ってやって来た。彼女は集積所のひっくり返っているゴミ袋を見て、「あの男の人はダメねえー」と呟いているだろうと想像した。

 私はどちらか言えば几帳面で、ロビーにチラシやゴミが落ちていれば持ち帰る。家の中でも、髪の毛1本でも拾って歩く。台所のシンクに洗い物が積まれているのも気になってしまう。以前、高校に勤めていた時、教官室が物で散らかっていた。主任が助手に掃除を命じたが、助手は「埃で死んだ人はいませんから」と平然と言い放った。

 それを聞いて私は、よく主任に逆らえるなと感心したばかりか、そうか、埃で亡くなる人はいないかと納得してしまったが、今思えば、どうしてあの時は同意したのだろう。我が家には、「気が付いた人がやればいい」という鉄則がある。主任が自ら箒を持ったなら、「先生、ボクがやりますから」と助手は言っただろう。

 8月6日は広島に原爆が投下された日。核兵器廃絶と世界平和を祈念する日だが、祈念だけに終わってはならない。式典で小学生の男女が「心から平和だと言える日を目指し、努力し続けます」と『平和への誓い』を読み上げた。菅首相のあいさつよりも心のこもった言葉だった。

 「今日はハムの日」とブログに書いていた人がいた。8月6日をハムと読ませるのは機知に飛んでいるが、せめて原爆には触れて欲しかった。原爆も戦争も、こんな風に忘れられて行くのだろうか?

コメント
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