戦没者追悼式のニュースを見る度に、亡くなった人はどれだけの人数だろうと思う。兵隊だけでなく、民間人も含まれているのか、日本人だけでなく外国人も数えているのだろうか。空爆のような無差別殺戮では、正確な数字は数えられないのではないかと思う。
私よりも5つ歳上の人なら戦争体験を語ることができるだろう。マンションの友だちから子どもの頃に、戦闘機から機銃掃射を受けた話を何度も聞いた。運動場をイモ畑にして、イモで飢えを凌いだとも聞いた。戦線が拡大した陸軍の戦死者で一番多かったのは、飢餓とはなんとうい悲惨か。
私は子どもの頃から、戦争に向かわせた人たちが責任をどのようにとったのかに関心があった。けれど戦争責任はウヤムヤのままだ。アメリカ軍による軍事裁判はあったが、戦争を勧めた人たちや支持した人たち自身による検証はあったのだろうか。
終戦という表現も曖昧だ。なぜ敗戦記念日としなかったのだろう。戦争体験が語り継がれることは大事だと思うけれど、やがて語り部もいなくなってしまう。日本は憲法で戦争放棄を宣言した。これを押し付けられた憲法だから、自主憲法に改正せよと言う人たちがいる。
軍隊を持てば戦うことになる。先日、豊田市の中学生が新聞に、「戦争がひとたび起これば多くの人の命が次々と奪われてしまい、戦地となった環境はことごとく破壊されてしまう」と、戦争に反対する記事を投稿していた。中学生の意見は正しい。大人はそう決意しなくてはいけない。