森羅万象、この世にあるものには命がある。母はよくそう言っていた。朝日に向かって合掌し、お寺やお宮で深く頭を下げ手を合わせた。母が言うように、太陽や大きな岩や樹齢何百年の大木は、威厳があり神様が宿っている気がした。草や虫やコケにも命があると私も信じていたが、コケも人間も元は同じ生命体と聞いた時は、新鮮な衝撃だった。
どのようにしてこの地球に生命体が生まれたのかは確かではないが、生まれた生命体はそれぞれに進化していった。動かない方に進化した植物、動く方に進化した動物、それぞれが生命を維持し子孫を残してきた。ということは、今、現在が最高点にあるということだ。アオミドロを見て「なんだ、進化できていない、遅れている」とは言えないのだ。
バラを手入れしていると、新しい芽が出て葉が育つと古い葉は黄色になって枝から落ちていく。時々嫌がる葉があって、病気になったりして困らせる。花の咲く草木は、花が咲き実を付けると花の時期が終る。そこで花をこまめに切り取って実を結ばせないようにするとかなり長く咲き続ける。生命体はそれぞれに精いっぱい生きているのだ。
そこで気が付いた。人間の社会も同じではないだろうか。アフリカや南米の原住民を「遅れた連中」と蔑むことは出来ない。それぞれがその生まれた環境では充分に到達した生活であった。欧米人が日本人を見た時、「(遅れていると思ったが)文化は高い」と記している。裸で生活していても、他人を思いやる気持ちが社会の仕組みになっていれば、戦争に明け暮れる人たちよりも文化レベルは高い。
イスラム教国は私たちには理解しにくいが、今もなお分かち合う価値観を持っていると聞いた。エジプトで品物を買った人が、「20個くれ」と言ったら、1個の時の値段の倍の20個分を請求された。たくさん買うのだから安くなるはずと言うと、「あなたは金があるのだからたくさん払っても困らない」と言われてびっくりしたと言う。お金持ちはたくさん支払い、平等になるという訳だ。累進課税方式で、これも到達した文化である。