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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

本当に男尊女卑だった

2016年05月24日 18時08分49秒 | Weblog

 「本当に男尊女卑だったのですかね」と40代の男性は言う。彼の生まれ育った環境や今の家庭の有様からは想像が出来ないということだろう。確かに現在は、核家族のため家に年寄りがいないが、以前は3世代あるいは4世代同居が普通だった。会社員が誕生して、核家族で生活できるようになったからだ。

 たぶん、昭和30年代の初め頃から景気がよくなって、一気に核家族化が進んだと思う。我が家は材木屋を営んでいたけれど、新しい家がどんどん建つ時代だった。我が家は祖父母、父母、兄夫婦とその子ども、私と妹の10人家族だったが、兄の子どもが生まれて間もなく、父は食事を母屋から私たちの住まいだった倉庫に変えてしまった。

 食卓が狭すぎたこともあるが、祖父と父は食事中も全く話をしないほど仲が悪かった。それに大家族だったからか、初めに祖父がお酒を飲み終えて食事をする時に、男たちが食卓に着き、男たちが終わった後、女たちが駆け込むように食事をするのが常だったから、父は母のことを思い、食事の場所を切り変えたように思う。

 私たちの住まいの方には水道がなかったから、母屋から水を運んで来なくてはならない。これは父と私の仕事だった。4人が揃って話をしながら食事が出来る現在のスタイルになったが、友だちの家も核家族が多かったから、やっとみんなと同じになったと思った。夫を戦争で亡くした女性はそのまま家に留まるより、実家に戻るか夫の兄弟と再婚するケースが多かった。

 働く女性の待遇が改善され始めたのは20年位前からだと思う。政府も女性管理職を増やすようにと指導をした。しかし家事や育児は女性の仕事という考え方はすぐには変わらなかったから、結婚しても働く女性たちには負担が重かった。そこで男性も家事や育児を分担するようになった。

 でも、それだけでは男女平等の社会にはならない。社会の仕組みや職場のあり方、賃金の体系など、少しずつ理想へと進めていく必要がある。上野千鶴子さんの原点は学生時代にあるように思う。古い体制を打破し人間らしい社会を求めた学生運動、けれどデモが終ると男たちは「おい、お茶!」と女子に言ったという。なるほどと私は感心した。

コメント (3)
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