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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

我を張って生きる

2016年05月01日 18時44分59秒 | Weblog

 世間はゴールデンウィークで騒がしいが、毎日が日曜日の私はただひたすらチューリップを抜き、残った根を取り除いて、鉢の新しい土づくりを行う。黙って同じ作業を繰り返す。昨日も今日も、午前中は風もなく作業は順調に進んだのに、一番仕事ができる午後は風が強くなって砂ホコリが舞い、目が痛い。しかし、やらなければ夏のルーフバルコニーにならないから、ひたすら作業を続ける。

 学校の運動場から少年野球クラブの子どもたちの声が聞こえる。「ワーショイ、ワーショイ」の掛け声は何を意味するのだろうなどと考える。中学の時、野球部の練習で、「ドンマイ、ドンマイ」と言っていた。聞いたことのない日本語だと思っていたら、don‘t mindのことだった。「ワーショイ、ワーショイ」と聞こえるが、本当は違うのかな。「バカヤロー、どこ見てるんだ」とコーチの声。このチームはきっと勝てないな。

 ゴールデンウィークで九州に帰った人もいるだろう。先日、故郷の熊本で介護施設を立ち上げた母親の息子に会ったので、「お母さんはどうしている?」と聞くと、「施設は使い物にならないみたいです。連休中に一度行ってきます」と言う。朗らかで活発な女性だった。せっかく築いてきた施設がダメになってしまったらどうするのだろう、他人事なのにそんな気がした。

 一生懸命で生きているのに、不幸なことばかり起きる人がいる。それでも、他人が不幸だと思うだけで、本人はいたって気にしていない人もいる。どんな時でも明るく笑っている。そんな姿を見るとホッとする。不幸なんて気の持ちようなどは他人だから言えるけれど、本人にしてみれば大声で泣き叫びたい心境かも知れない。それでもそんな姿を見せないのは、弱さを見せたくない強い気持ちがあるのだろう。

 我を張って生きる。人は常にそうしてきた。けれど、それは何時になったら終わるのだろう。結局、死ぬまで続くことになるのか。途中で、我を張るのを止めて、自分の感情をむき出しにしたら、築いてきた人生そのものを否定してしまうことになるから。ちょっと疲れた。「明日も良い天気みたいよ」とカミさんがテレビを見ながら言う。そうか、明日もまた頑張ろう。

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