友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

福岡地裁の判決

2008年01月09日 23時54分23秒 | Weblog
 一昨年、福岡市で飲酒運転による追突事故で、幼児3人が亡くなる悲劇が起きた。運転していたのは23歳の市職員で、自宅や居酒屋やスナックで缶ビール1本と焼酎のロック8~9杯、ブランデーの水割り数杯を飲み、車を時速100キロで運転し、追突したのだ。市職員は相手を助けることなく、現場から逃げ、友人に身代わりを頼んだり、大量の水を飲み、警察官による飲酒検知が行われたのは事件発生から1時間後だという。事件は余りの大惨事なので大きく報道された。

 春日井市でやはり一昨年、飲酒運転で赤信号の交差点に入り、タクシーと衝突して4人を死亡させた運転手に、名古屋高裁は昨年末、「危険運転致死傷罪」を適用し、懲役18年を言い渡した。飲酒運転に対する裁判所の判断は厳しいものになると誰もが予想したが、福岡地裁は検察による危険運転致死傷罪ので起訴および懲役25年の求刑を退け、業務上過失致死傷および道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)で懲役7年6月を言い渡した。

 福岡地裁の判断は、スナックから追突現場までの8分間、擦り傷一つせずに運転できたから、酔っ払い運転の特徴である蛇行運転もなかったから、危険運転致死傷罪ではなく業務上過失致死傷および道交法違反だというのである。私は法律の専門家ではないから、法解釈で争う気はないし、酔っ払っていても擦り傷を作ることなく運転することはあるが、そんなことを問題にする気もない。

 私が思うことは、人を殺してしまっていて、殺人の罪を問わなくてもいいのかということである。過失なのだから仕方のないことではないのか、初めはそう思っていたけれど、たとえ過失であっても人を殺してしまった人はそれなりの罰を受けなければならないと私は思っている。私は、死刑はやはり殺人に変わりないと考えているのが、殺人罪は死刑ではない最高の刑に服するべきだと思っている。それが、たとえ過ちであっても、正当防衛であっても、人殺しには変わりないのだから、最高の刑に服すべきであろう。

 こんな悲しいことを考えていたら、ニューハンプシャー州での予備選挙でヒラリー・クリントンが接戦を制したとニュースで聞いた。やはり選挙を知り尽くしているヒラリー氏がこのまま負けることはないだろうと思っていたが、そのとおりとなりホッとするとともに、でもやはりヒラリー氏はどんどん受けを狙う発言をしていくだろうなと思うと重い気分になった。オバマ氏が嫌いというわけではなく、なんとなくヒラリー氏に応援しているに過ぎない。彼女の伝記が私にはどうしても彼女を応援させたい気持ちにさせているようだ。

 それに今日は、私には新しい年の嬉しい日なので、よし今日は飲もうと勝手に決めて、飲むことにした。愛する人が気持ちよく思ってくれるならば、人にとってそれは最高の日である。よっしゃ、今日はちょっと遅い新年の喜びの日としよう。そう思い乾杯!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする