友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

57年ぶりの再可決

2008年01月12日 22時39分51秒 | Weblog
 今朝の朝日新聞と中日新聞のトップ記事はともに『グッドウィル事業停止』であった。「57年ぶりの再可決」の記事は2番手で、「歴史的採決緊張感なし」(中日)、「340対133補給支援法成立」(朝日)とあった。与野党がそれぞれの政治使命や政治姿勢を前面に打ち出し、大論戦を展開するのかと期待したが、何事も無かったかのように幕が引かれてしまった。

 参議院本会議で野党はこの法案を否決したが、民主党の大江康弘議員は採決時に退席した。大江議員は「国際貢献は必要だといい続けてきた」と自分の行為を説明していた。法案は参議院本会議での否決を受け、両院協議会を開くことなく衆議院本会議で再議決され、340対133の結果、出席議員の3分の2以上の賛成で可決し成立した。

 昨夜のテレビを見る限りでは、民主党の議員の中には大江議員の他にも「(法案が)成立して本当によかったと思っています」と発言している人がいたように思う。しかし、小沢一郎代表自身が反対票を投ずることなく、本会議場から退席したのだから、大江議員らの発言や行動を問題にすることは今の民主党にはないだろう。民主党という政党は内部での熱い論戦が嫌いなのだろうか。それでは一体、彼ら議員は何がしたくて国会へやってきたのだろう。

 政党だから一枚岩でなくてはならないと私は思わない。上で決めて、下が忠実に守る、そんなことにはヘドが出る。けれども、曖昧な内に流してしまうことには腹が立つ。もっとお互いの意見・考えを論議したらいいのに、これを避けて通ろうとしていてはどう考えてもいい政治は実現しない。100年前であったら、確かに反対派は粛清されるかもしれない。わずか30年前の日本でも、内ゲバや自己批判と称する殺人があった。

 そうした馬鹿な過ちを犯さないためにも、正々堂々と自らの信念や理想を主張し、政治の世界は大論戦が当たり前で、大論戦ができない者は政治家にはなれないことが当たり前の空気が欲しい。議論もせずに多数派工作ばかりして、それが政治だと思っているような議員も役人も要らない。こういう人を無くしていかないと政治は変わらないのではないか。

 新聞も国会議員の誰が賛成し、誰が反対し、誰が棄権したのか、報道して欲しいと思う。地方議会の議員の評価を市民が行う動きがある。どういう形で行うのか興味深いが、国会議員も何をしているのか、少なくともこうした重大な法案の審議について、その行動を報じて欲しいと思う。これはマスメディアの責任ではないだろうか。

 私の感想はますます馬鹿馬鹿しくなってしまったである。しかし、この世で生きている限り、そうばかり言ってるわけにもいかないとも思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする