大晦日の夜は星がきれいだった。空気が澄んでいるのだろう、冬の星座を代表するオリオン座、北にはカシオペア座と向かい合う小熊座が見えた。元旦の朝日も清々しく見えた。新しい年の始まりはいつも、なぜか厳粛な雰囲気が漂っていると思う。同じ時間が流れているのだから、突然に厳粛となるわけはないのだが、長い年月が私にそう思い込ませているのだと思う。
それでも、元旦の朝日を清々しく思い続けることにしたい。そうすることで、昨年とは違う何かに期待しておきたい。まだ、社会生活はゆったりと動いているのだろう、今晩の空も星がきれいだ。人間が産業革命に突入する前までは、人々はどこでもこんなきれいな夜空を見上げていたのだろう。
2日、何十年振りになるのだろうか、卒業生が訪ねてきてくれた。彼らが卒業して結婚するまでの数年間、毎年のように我が家に誰かが訪ねてきていた。カミさんは接待で大変だったかもしれないが、私はうれしかった。酒を飲み、馬鹿話をするだけのことだが、楽しかった。歳の差も5年から12年までくらいだから、今になればほとんど変らない世代だ。
私の中学3年の時の担任のところに、みんなでよく遊びに出かけた。先生はそんなにお酒が飲める方ではなかったが、成人してからはお酒も用意されていたように思う。先生が卒業生を歓待することを、教師になった私はそのまま受け入れていた。そうすることで、担任のような先生になりたいと思っていたのかもしれない。
中学のその担任は数学の先生で、かなり短気で熱情家だったから、怖いと思う女子生徒もいたようだが、私は自分たちと同じような子どもじみた先生という印象が強かった。3年生の担任になったばかりの頃、「月給が1万円になったから結婚する」とホームルームで先生は話した。それから新婚旅行の写真が教室の後の壁に貼られ、1枚10円で皆が買ったように記憶している。今、そんなことをしたなら新聞沙汰だと思うけれど、それをしてしまう先生だった。
3日、昨年は姉の喜寿の祝いで、名古屋市内でお祝いの会を行ったが、今年はいつものように我が家に私の親族が集まって新年会を行った。兄の子どもの長男は高校1年生になり、背丈が伸びて親族の中では一番の長身となった。私が通った高校の生徒だから、後輩となるわけだが、持ってきていた数学の問題をやっているのをチラリと見てビックリした。残念ながら私にはさっぱりわからない。すると、姉の子どもの長男と次男の大学生が、一緒になって考えてくれていた。
我が家の系統は、ないものをあるように思う文化系だと思っていたが、それは私の勝手な思い違いであった。兄の子どもも私の孫娘も、答えのハッキリしない寝物語よりも白黒がハッキリする数字の世界の方が好きだと言う。私には、計算すれば答えが出るようなものになぜ興味が湧くのかわからないのだが、彼らに言わせれば、答えに到達するにはいくつかの方法があり、それを発見していくことは実に楽しいのだそうだ。
確かに私たちが住んでいるこの地球も、これからどうなっていくのか全くわからない。その答えを出すにはいろんな方法があるかもしれないし、全くのロマンだけの世界に終わるかもしれない。そんなことを思っていたら、親しくしていた卒業生から電話がかかってきて、先の楽しみなんかないようなことを言うので、「生きていなければ、答えはわからないのだから、少なくとも生きていることが一番大事だと思うよ」と答えた。
「あまりの飲みすぎないでくださいね」と労わってくれる人がいるのもありがたいことだ。そんなこんなで今年も新しい日々が始まった。
それでも、元旦の朝日を清々しく思い続けることにしたい。そうすることで、昨年とは違う何かに期待しておきたい。まだ、社会生活はゆったりと動いているのだろう、今晩の空も星がきれいだ。人間が産業革命に突入する前までは、人々はどこでもこんなきれいな夜空を見上げていたのだろう。
2日、何十年振りになるのだろうか、卒業生が訪ねてきてくれた。彼らが卒業して結婚するまでの数年間、毎年のように我が家に誰かが訪ねてきていた。カミさんは接待で大変だったかもしれないが、私はうれしかった。酒を飲み、馬鹿話をするだけのことだが、楽しかった。歳の差も5年から12年までくらいだから、今になればほとんど変らない世代だ。
私の中学3年の時の担任のところに、みんなでよく遊びに出かけた。先生はそんなにお酒が飲める方ではなかったが、成人してからはお酒も用意されていたように思う。先生が卒業生を歓待することを、教師になった私はそのまま受け入れていた。そうすることで、担任のような先生になりたいと思っていたのかもしれない。
中学のその担任は数学の先生で、かなり短気で熱情家だったから、怖いと思う女子生徒もいたようだが、私は自分たちと同じような子どもじみた先生という印象が強かった。3年生の担任になったばかりの頃、「月給が1万円になったから結婚する」とホームルームで先生は話した。それから新婚旅行の写真が教室の後の壁に貼られ、1枚10円で皆が買ったように記憶している。今、そんなことをしたなら新聞沙汰だと思うけれど、それをしてしまう先生だった。
3日、昨年は姉の喜寿の祝いで、名古屋市内でお祝いの会を行ったが、今年はいつものように我が家に私の親族が集まって新年会を行った。兄の子どもの長男は高校1年生になり、背丈が伸びて親族の中では一番の長身となった。私が通った高校の生徒だから、後輩となるわけだが、持ってきていた数学の問題をやっているのをチラリと見てビックリした。残念ながら私にはさっぱりわからない。すると、姉の子どもの長男と次男の大学生が、一緒になって考えてくれていた。
我が家の系統は、ないものをあるように思う文化系だと思っていたが、それは私の勝手な思い違いであった。兄の子どもも私の孫娘も、答えのハッキリしない寝物語よりも白黒がハッキリする数字の世界の方が好きだと言う。私には、計算すれば答えが出るようなものになぜ興味が湧くのかわからないのだが、彼らに言わせれば、答えに到達するにはいくつかの方法があり、それを発見していくことは実に楽しいのだそうだ。
確かに私たちが住んでいるこの地球も、これからどうなっていくのか全くわからない。その答えを出すにはいろんな方法があるかもしれないし、全くのロマンだけの世界に終わるかもしれない。そんなことを思っていたら、親しくしていた卒業生から電話がかかってきて、先の楽しみなんかないようなことを言うので、「生きていなければ、答えはわからないのだから、少なくとも生きていることが一番大事だと思うよ」と答えた。
「あまりの飲みすぎないでくださいね」と労わってくれる人がいるのもありがたいことだ。そんなこんなで今年も新しい日々が始まった。