友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

日本語教室

2008年01月25日 21時29分08秒 | Weblog
 私は日本にいる外国人に、日本語を教えるボランティアをしている。昨年末までは週に2日、活動していたがそのうちの1日が今年から無くなった。会社で働くベトナム人に、日本語を教えてくれと言われて毎週も木曜日に出かけていた。それが会社の都合で就業時間内ではなく、午後5時30分からに変更になった。すると、日本語教室にやってくる人が減り始めた。多い時は7人も教室に来ていたのに、昨年の12月は2人の時が多くなった。今年の初めに会社から「しばらく休ませて欲しい」と電話が入った。ベトナム人は午後5時30分からでは残業手当が減ってしまうので、勉強よりも働きたいと言っているとのことだった。

 金曜日の夜も公共施設で、国際交流「マインド」の日本語教室があり、私はその責任者だから毎週必ず出かけている。こちらの教室も7・8人と多い時があるかと思えば、いくら待っても誰一人来ない時もある。何年か前までは南米からやってきた人たちが多かったが、最近ではトルコ人、ベトナム人が多くなった。この教室にもベトナム人が3人来ていたが、今はフィリッピン人の男女2人になっている。先週からネパール人が1人来ているので、3人だが、ネパール人の人は全く日本語ができない。そうなると先生は二人要るが、いつも必ず来てくれると限らないのに、もうひとりに来てくださいと頼みにくい。

 私がこれまでに接した外国人はみんないい人だった。「ふざけんな!」などと怒鳴りたくなるような人は一人もいなかった。みんな熱心に日本語を勉強していたし、真面目で、やる気もあった。しかし、仕事の都合や会社の都合や諸々の都合で、勉強を続けることができない場合が多い。仕事のことや会社のことには立ち入らないようにしているので、実際に彼らがどのようなことで悩み、なぜ勉強が続けられないのか、詳しいことはわからないが、兄弟や親子のように親しくなっても、ある日突然に来なくなってしまう。

 私が外国に行って、言葉が話せないと困ったように、ましてや彼らは旅行者ではなく、働くために日本に来たのだから、そのために勉強しようとするとても意欲のある人たちだから、私はなんとしても彼らの希望に応えたいと思う。日本語をどのように教えることがキチンと確実にマスターできるのか、そのためのカリキュラムはできないのか、思案している。

 私の知り合いも各地で日本語を教えるボランティ活動を行っているが、実際に見せてもらったけれど、来ている外国人の国や日本語の習得レベルや意欲やお金や、いろんな要因でやり方も違い、一律にはできないと感じた。教える側の人も、どこでもみんな悩みながらやっていることもよくわかった。私を日本の「お父さん」にして結婚したトルコ人から、可愛い赤ちゃんの年賀状が届いた。みんなが彼のように幸せな家庭を作られるように、力を貸せたらいいなと思う。
コメント (2)
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