孫娘が父親に買ってもらったDVD『僕は妹に恋をした』を、友だちみんなが我が家にやってきて見たという。「パパちゃんは見ると興奮するよ」と孫娘が言うので、「じゃあー、見てみようか」ということになり、晩御飯の後で見た。孫娘が「絶対見るといいよ」と言っていた『恋空』によく似ている。残念ながら私たちの高校時代とは全く違っていたが、だからといって「恋」を馬鹿にする気は全くない。「恋」は時代が違っていても同じだと思うからだ。
『僕は妹に恋をした』は双子の男の子と女の子が互いを恋してしまう話だ。今、思い出せないが小説の中にも兄妹でありながら、恋してしまうものはあったように思うし、日本書紀でも兄妹が夫婦となり子どもをもうける話があったのではないか。兄妹であったとしても、男と女に変わりなく、他に心動かされる異性がいなければ、もっと言うならば、もっとも身近にいる異性なのだから、恋が生まれても不思議はない。それは、兄と妹だけに限らず、父と娘であることもあるし、子と母であることもある。
あのギリシア悲劇『オイディプス王』は、子が生母と結婚している。もちろんこの話は親子と知らずに結婚してしまうのだが、それにしても恐ろしい悲劇だ。人はこのように空恐ろしい存在だということなのだろう。私は高校生の時、中学から好きだった女の子がいた。いたにもかかわらず、毎朝、私がいた新聞部の前を通って音楽室に通い、ピアノの練習をしている女の子が好きになった。そればかりか、スタンダールの『赤と黒』のように、成熟した女体に憧れていた。私はキリスト者になりたいと思っていたのに、自分が獣の本性であること悩んでいた。
大学生になった時、高校時代の友だちで合宿を企画した。その時、私は自分がこのように矛盾した存在であることを、「人間は決してきれいな存在ではない。表と裏が共存する」というようなことを発言した。すると、友だちの一人が私に飛び掛ってきて、怒った。なぜ、彼が飛び掛ってきたのか、私には未だにわからないが、未だに私は罪深き人間から逃れることができずにいる。
『僕は妹に恋をした』を孫娘はどのように受け止めたのだろう。「兄弟ではいやだけど、こんな恋ができたらいい」などと、中学1年生のクセに言う。こんな恋とは好きだとはっきりいってくれる、相思相愛ということなのかもしれないが、「恋」はお互いが求め合い、そしてそれゆえに傷つけあうこともまたその範疇にある。それを知るようになるのはいつのことなのだろう。
それにしても、高校生でキスしたり、肉体の喜びを知る今時の若者はうらやましい。決して踏み外してはいけないということであっても、欲望は大きな力で人の倫理を破壊していく。悪魔は神よりも巧みなのだ。それにしても、『僕は妹に恋をした』の母親は高校生になった子どもを二人だけの部屋に置くことの危険がなぜわからないのか。悪魔に手を貸すようなものだ。高校生なら当然の結果ではないかとさえ思える。
孫娘が「これでどうなるの。結末がわからん」と言う。私はあえて解説はしなかったけれど、映画では男の子が女の子を負ぶって歩き、10歩目に来て、「これで終わりだよ」と言うが、二人の恋もこれで終わりだよということだろう。倫理を超えた「恋」は、いつか終わりが来る。いういやそもそも「恋」には、いつも終わりがある。終わりが来るまで、恋におぼれなさい、恋に甘えなさい、それが恋というものだと思う。
私には退屈な映画だったけど、孫娘たちには心躍る映画だったとしたら、やはりそれは歳のせいでしょう。
『僕は妹に恋をした』は双子の男の子と女の子が互いを恋してしまう話だ。今、思い出せないが小説の中にも兄妹でありながら、恋してしまうものはあったように思うし、日本書紀でも兄妹が夫婦となり子どもをもうける話があったのではないか。兄妹であったとしても、男と女に変わりなく、他に心動かされる異性がいなければ、もっと言うならば、もっとも身近にいる異性なのだから、恋が生まれても不思議はない。それは、兄と妹だけに限らず、父と娘であることもあるし、子と母であることもある。
あのギリシア悲劇『オイディプス王』は、子が生母と結婚している。もちろんこの話は親子と知らずに結婚してしまうのだが、それにしても恐ろしい悲劇だ。人はこのように空恐ろしい存在だということなのだろう。私は高校生の時、中学から好きだった女の子がいた。いたにもかかわらず、毎朝、私がいた新聞部の前を通って音楽室に通い、ピアノの練習をしている女の子が好きになった。そればかりか、スタンダールの『赤と黒』のように、成熟した女体に憧れていた。私はキリスト者になりたいと思っていたのに、自分が獣の本性であること悩んでいた。
大学生になった時、高校時代の友だちで合宿を企画した。その時、私は自分がこのように矛盾した存在であることを、「人間は決してきれいな存在ではない。表と裏が共存する」というようなことを発言した。すると、友だちの一人が私に飛び掛ってきて、怒った。なぜ、彼が飛び掛ってきたのか、私には未だにわからないが、未だに私は罪深き人間から逃れることができずにいる。
『僕は妹に恋をした』を孫娘はどのように受け止めたのだろう。「兄弟ではいやだけど、こんな恋ができたらいい」などと、中学1年生のクセに言う。こんな恋とは好きだとはっきりいってくれる、相思相愛ということなのかもしれないが、「恋」はお互いが求め合い、そしてそれゆえに傷つけあうこともまたその範疇にある。それを知るようになるのはいつのことなのだろう。
それにしても、高校生でキスしたり、肉体の喜びを知る今時の若者はうらやましい。決して踏み外してはいけないということであっても、欲望は大きな力で人の倫理を破壊していく。悪魔は神よりも巧みなのだ。それにしても、『僕は妹に恋をした』の母親は高校生になった子どもを二人だけの部屋に置くことの危険がなぜわからないのか。悪魔に手を貸すようなものだ。高校生なら当然の結果ではないかとさえ思える。
孫娘が「これでどうなるの。結末がわからん」と言う。私はあえて解説はしなかったけれど、映画では男の子が女の子を負ぶって歩き、10歩目に来て、「これで終わりだよ」と言うが、二人の恋もこれで終わりだよということだろう。倫理を超えた「恋」は、いつか終わりが来る。いういやそもそも「恋」には、いつも終わりがある。終わりが来るまで、恋におぼれなさい、恋に甘えなさい、それが恋というものだと思う。
私には退屈な映画だったけど、孫娘たちには心躍る映画だったとしたら、やはりそれは歳のせいでしょう。