友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

信頼するしかない

2008年01月21日 17時12分20秒 | Weblog
 もう4日間も、年老いた大人が3人、角つき合わせて「これはこうした方がいい」とか「この表現はわかりにくい」とか、1日平均でも5時間ほどだから、もう20時間もやっている。今日もこれから最後の仕上げだというので、少々頭が痛い。けれども、夢中になれる人は強いと思う。

 私よりも10歳と4歳年上の方たちだが、実にエネルギッシュだ。それにやはり年寄りは頑固である。私自身も人から口出しされると、つい反論したくなってしまうが、頑固な人はおおむねその傾向が強い。私は否定するつもりはないけれど、「それは独りよがりではないかな」と発言したところ、「あんたがわかっていないからだ」と逆にやり込められてしまった。

 言葉は相手に伝えなくてはならないから、こういう展開では説得力が弱いのではないか、そんなことを問題にしたかったのだが、なかなか受け入れてはもらえない。私も言い方をちょっと反省しなくてはいけないなと思うときがある。特に議論などした場合に、どうも極端なことを言うクセがある。極端なことを言うことで、ものごとの本質をハッキリさせたいと思うのだが、それが相手を傷つけてしまうことがよくある。

 先日のブログで「不倫の結末は悲しいね」と書き、「男は、私からすれば、どうしてこんなうすのろなアホな男に惚れるのか、と思うような中年男で」と続けた。私のブログを読んだ友だちが「彼からすれば、さしずめ、私も『どうしてこんなうすのろなアホな男』の一人なのだろう。私は、いつの間にか、他のカップルがどんな話をしようが、どんな行動をしようが余り気にならなくなってしまった。(略)相手を心底、愛し、今二人だけの時間を共有しているのであれば、尚更の事である」と、彼のブログに書いていた。

 私のブログの書き出しは「老いてからの恋は悲しい」と、同年代の同病者の呼びかけの形をとっている。彼も書いているように「人それぞれの付き合い方があり、愛し方がある」。私は極端に「どうしてこんなうすのろなアホな男」と書いたが、実際のその中年男性は男の私が見てももてそうなタイプだった。私としては、人それぞれの付き合い方があり、愛し方があると伝えたかったが、「彼からすれば、さしずめ、アホな男の一人」と書かれてしまったのはショックだった。

 友だちをそんな風に一度も思ったことはないのに、また傷つけたような気がして胸が痛い。いつだったかのミュージックフェアというテレビ番組で「恋愛は言葉である」と言っていた。言葉がなくては気持ちは伝えらないのに、その言葉が誤解を招いたり、人を傷つけたりしてしまう。怖いけれど、頼るしかない。
コメント (3)
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