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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『41歳からの哲学』

2008年01月15日 23時19分09秒 | Weblog
 孫娘が中学生になった時、池田晶子さん著の『14歳からの哲学』をプレゼントした。新聞の書評を読んで、ぜひ読ませたいと思ったからだ。その書店には池田さんの著作が幾つか並べてあったので、私も『41歳からの哲学』を買った。もともと週刊誌に連載していたものを単行本にしたものなので、一つひとつが短く読みやすくなっている。

 パラパラと読んでいたものをまた、読み直してみた。自分が良かれと思ってやったことが相手を傷つけていたのだから、ショックは大きい。思慮が足りないのだと思い、本棚の中で目に付いた池田さんのそれを読んでみたのだ。池田さんの文章は切れがいいからを読んでいると癒される。

 第1章の「平和な時でも人は死ぬ」で、なぜ人は死を恐れるかについて述べているが、その切り口がおもしろい。「戦争を恐れるということは、それを恐れる人にとっては、多く、死を恐れるということである。」「人は考えることをしないで本能的に恐れたままでいるから、死にたくないために戦争したり、逆に美化して観念のために死んだりするわけである。したがって、戦争の抑止力ということなら、死について各人が考えて気がつく以上のものはないのである。」「生まれた限り、人は必ず死ぬものであり、人の死亡率は一律に百%である。この絶対確実平等的事実の側からみれば、いつどこでどのように死ぬかは偶然、平たく言えば、運である。」

 そしてさらに、「反戦という観念に殉じて死のうとした人々は、愛国という観念のために自爆して死んだ人々と、その心性としては同じである。」「ミサイルが飛んでくるからと言って、これまでの生き方や考え方が変わるわけではない。生きても死んでも大差はない。歴史は戦争の繰り返しである。人はそんなものに負けてもよいし、勝った者だってありはしない。自分の人生を全うするという以外に、人生の意味などあるだろうか。地球人類が滅びたとしても、そんなのは誰のせいでもない。この一蓮托生感というのは、なかなかイイものである。自分は別だと思うのをやめるだけのことである。」

 池田さんは先ごろ亡くなられた。40代の若さである。「やせてはいるが、大食いで、普通の成人男子の倍はゆうに食べていた。(略)体力もある。毎朝のジョギングを1時間2時間、女子マラソン並みである。そして、飲む。いくらでも飲む。たいていの男性は、先に潰れた。それらの一部始終を観察しているくらい、冷静である。(略)不調を知るようになって初めて気がついた。歳をとるということも同じことだが、体があるとは、なんだこのことだったのか。40をすぎて、腑に落ちた。」「この世で生きるということは、体をもって生きるということである。体は自然だから、変化する、壊れる、やがてなくなる。(略)体は人生を渡るための舟なのである。病気のひとつやふたつあるのもだから当たり前、むしろ病気のひとつも知らないと、人の心はヒダがなくなる。」そんなことを書いていたのは、先を見ていたからなのだろうか。

 美人薄命。よい人は早く逝ってしまうようだ。と言うことは、私は長生きするのだろうか。それもショックだな。
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