佐賀北が甲子園で優勝したした時、「県立」という言葉が強調された。私は県立高校の卒業なので、やはり敏感に反応してしまった。そういえば、私学と公立の対戦になると自然に公立を応援していた。私学の場合は、特待生制度が問題になっていたが、お金で優秀な選手を集めてくると思っていたから、実際はそうでもなくてもそうに違いないと思い込んでいた。
佐賀北は普通高校で、かなりの進学校であるらしい。野球部の彼らは実績がないために、サッカー部にグランドを譲るようにして、練習してきたそうだ。その練習も私学の強豪のように、ハードなものではなくて、ごくごく普通の練習であり、しかも限られた当たり前の時間内で行ってきたようだ。そんな練習とかけた時間で、誰が高校野球の最頂点に達することができると、誰が予想できたであろう。彼ら自身も「まさか!?」と思ったに違いない。
九州人に言わせると「佐賀の人が歩いた後はぺんぺん草も生えんね」ということらしい。九州の7県の中でも佐賀県は貧しい、特に有名なものが無いということらしい。その九州勢の中で、佐賀北は頂点に達した。普通の子どもたちが、普通に練習し、試合をする毎にたくましく成長した。甲子園大会は彼らには成長するための練習試合だったのかもしれない。しかもその練習試合は真剣勝負だったから、持っていた力が、持っていた以上に発揮できたのだと思う。
佐賀県人の明るさと実直さを見せてもらった気がした。私の知る佐賀の女性は色白で、気を遣うわりにはちょっと明るすぎる。それは彼女の美徳なのだが、気が廻らないと気にかけていた。完璧主義者ほど完璧にできないことを気にする。他人は自分が気にするほど気にしない。完璧でないことはむしろ可愛いことなのだ。完璧主義では息が詰まる。人はほどほどが一番よいのだ。
我が家の孫娘も、朝早くから水泳練習に出かけ、帰ってくれば夏休みの宿題に追われ、さらに午後には再び水泳練習に出かけるか、学習塾に出かけるか、ピアノのレッスンに出かけるか、とにかくボゥーとしている余裕がない。今朝も6時からの朝食の時間に「ホーク取って!」と言う。おいおい冗談じゃーないよ。あなたの方が近いでしょう。そう思いながらも情けないことに、孫のために身体は動いてしまっている。
「私って、本当にわがまま!」と、送っていく時に孫娘はポツリと言う。なんだやはりわかっているじゃーないか。そう思ってホッとした。「かわっているけど、それしかできん」と言う。「アンポンチンめ」と私は叱るが、まあ許している。そのうち、本気で好きな人ができれば、自分が何をしなくてはいけないか、わかるだろう。若ければ若いだけで、美しい。けれども、年齢を重ねたって若い人よりもっと美しい人もいる。魅力は多分、その人の持ち味なのだ。そういう人になってもらいたい。
ミカンの木の幼虫はさなぎに変身した。ところが2匹いたうちの1匹が見つけられない。昨夜、時々ミカンの木から落ちた幼虫はその度に枝に戻しておいた。その時、ジッとしていた片方が今はどこにいるのかわからない。昨夜の様子から推測すると、私がいない間に、木から落ちて、部屋の中のどこかでそっとさなぎになっているのかもしれない。明日の朝、どうなっているか楽しみだ。
佐賀北は普通高校で、かなりの進学校であるらしい。野球部の彼らは実績がないために、サッカー部にグランドを譲るようにして、練習してきたそうだ。その練習も私学の強豪のように、ハードなものではなくて、ごくごく普通の練習であり、しかも限られた当たり前の時間内で行ってきたようだ。そんな練習とかけた時間で、誰が高校野球の最頂点に達することができると、誰が予想できたであろう。彼ら自身も「まさか!?」と思ったに違いない。
九州人に言わせると「佐賀の人が歩いた後はぺんぺん草も生えんね」ということらしい。九州の7県の中でも佐賀県は貧しい、特に有名なものが無いということらしい。その九州勢の中で、佐賀北は頂点に達した。普通の子どもたちが、普通に練習し、試合をする毎にたくましく成長した。甲子園大会は彼らには成長するための練習試合だったのかもしれない。しかもその練習試合は真剣勝負だったから、持っていた力が、持っていた以上に発揮できたのだと思う。
佐賀県人の明るさと実直さを見せてもらった気がした。私の知る佐賀の女性は色白で、気を遣うわりにはちょっと明るすぎる。それは彼女の美徳なのだが、気が廻らないと気にかけていた。完璧主義者ほど完璧にできないことを気にする。他人は自分が気にするほど気にしない。完璧でないことはむしろ可愛いことなのだ。完璧主義では息が詰まる。人はほどほどが一番よいのだ。
我が家の孫娘も、朝早くから水泳練習に出かけ、帰ってくれば夏休みの宿題に追われ、さらに午後には再び水泳練習に出かけるか、学習塾に出かけるか、ピアノのレッスンに出かけるか、とにかくボゥーとしている余裕がない。今朝も6時からの朝食の時間に「ホーク取って!」と言う。おいおい冗談じゃーないよ。あなたの方が近いでしょう。そう思いながらも情けないことに、孫のために身体は動いてしまっている。
「私って、本当にわがまま!」と、送っていく時に孫娘はポツリと言う。なんだやはりわかっているじゃーないか。そう思ってホッとした。「かわっているけど、それしかできん」と言う。「アンポンチンめ」と私は叱るが、まあ許している。そのうち、本気で好きな人ができれば、自分が何をしなくてはいけないか、わかるだろう。若ければ若いだけで、美しい。けれども、年齢を重ねたって若い人よりもっと美しい人もいる。魅力は多分、その人の持ち味なのだ。そういう人になってもらいたい。
ミカンの木の幼虫はさなぎに変身した。ところが2匹いたうちの1匹が見つけられない。昨夜、時々ミカンの木から落ちた幼虫はその度に枝に戻しておいた。その時、ジッとしていた片方が今はどこにいるのかわからない。昨夜の様子から推測すると、私がいない間に、木から落ちて、部屋の中のどこかでそっとさなぎになっているのかもしれない。明日の朝、どうなっているか楽しみだ。