2日間の夏祭りは、さすがに疲れた。そう書いてから、いやそうではなく、自分が年をとったのだと気付いた。若いときなら少々無理をしてもそれが身体に残ることは無かったが、どうやらそういうわけにはいかない肉体年齢になったということだ。肉体年齢は個人差が大きい。私は自分が比較的若いと思い込んでいたが、修正を余儀なくされそうだ。
昨日は、お昼に国際交流マインドが迎えた韓国の子どもたちと、ホストファミリーや韓国語を学んでいる人たちなどに集まってもらって、日韓交流パーティーが開かれた。私は飲み物を冷たくしておくために氷を買い、会場の配置を考え、写真を撮って記録することを担当した。マインドの行事はいつものことだがメリハリは無い。なんとなく始まってなんとなく終わる。学校のようにピシッとは行かない。初めは慣れないのでイライラしたが、これがマインドなのだと思えるようになってきた。
さて、交流会が終り、後片付けを行って、早速夏祭り会場へと駆けつける。昨日よりも早く準備が進んでいた。そこでいったん器具類を降ろし、来たくても来られないという人を迎えに行き、それから家に帰って新しく縦書きのお品書きを書き上げ、そして再び、会場へと戻る。二日目は花火も上がるというので、人出も多い。メインであるアユの塩焼きはお昼から用意していただいたが、やはり売れ行きがよい。「去年食べて美味しかったから、今年も食べたいと思ってきた」と言ってくれる。小ぶりの天然アユの人気が高い。
友人の中学1年になった息子が、おじさんたちに指導されて、黙々とアユを串刺している。この子は長男坊だが、とてもよく気が付き、串焼きの手が足りないと見るとすっと前に行って串を回している。滅多にしゃべらないが、大人たちに混じってよく働く。ただ一度、おばさんに小学校1年の男の子の面倒を見てねといわれた時は、ちょっと引けていた。家と同じことはしたくなかったかもしれない。
祭りが終わり、後片付けも済めば、やはり今日の反省会がしたくなるのが人情である。立ちっぱなしで、ロクに食事もしていない。飲み物も食べ物も何もない。コンビニでビールとつまみを買い、我が家での反省会となった。酔うほどに飲むほどに、陽気になって来年もまたやりましょうと言う。中学生のあの子も酔っ払いのおじいさんおばあさんに最後まで付き合ってくれた。
今朝はNHKテレビで、広島の平和祈念式典を見た。秋葉市長は、世界の都市が手をつなぎ核廃絶に向けて取り組んでいることを話した。そして日本政府は、憲法を守り、時代遅れの力の政策を取るアメリカ政府に「ノー」と言わなくてはならないと述べた。続いて登壇した二人の小学生のメッセージは、21世紀の未来を託すにふさわしいと思った。感激性の私は涙が止まらなかった。安倍首相が秋葉市長や子どもたちの言葉をどのように聴いたのだろうかと興味を抱いた。総理大臣としての安倍首相の言葉は、憲法を守り、再び戦争を繰り返してはならないというものであった。
「憲法改正が私の任務」と言う安倍首相が、こうした平和記念式典の中で、自分の思いと違うことを何の躊躇もなく言い切れることに寒気がした。これが政治家だよというかもしれないが、そんな政治家は「廃絶」しなくてはいけないのではないか。自分の考えが正しいならば、いつでもどこでも堂々と述べることが政治家の使命だと思う。受けの良い適当な言葉で国民を誤魔化す、この手にはうんざりである。
メッセージを読んでくれた小学生たちが、あるいは夏祭りに父親と一緒に参加し、最後までくだらない大人のおしゃべりに付き合ってくれた中学1年の子が、大人になるまでの後10年で本当に世界は変るだろうか、ちょっと見通しは暗いような気がする。でも信じたいと思う。
昨日は、お昼に国際交流マインドが迎えた韓国の子どもたちと、ホストファミリーや韓国語を学んでいる人たちなどに集まってもらって、日韓交流パーティーが開かれた。私は飲み物を冷たくしておくために氷を買い、会場の配置を考え、写真を撮って記録することを担当した。マインドの行事はいつものことだがメリハリは無い。なんとなく始まってなんとなく終わる。学校のようにピシッとは行かない。初めは慣れないのでイライラしたが、これがマインドなのだと思えるようになってきた。
さて、交流会が終り、後片付けを行って、早速夏祭り会場へと駆けつける。昨日よりも早く準備が進んでいた。そこでいったん器具類を降ろし、来たくても来られないという人を迎えに行き、それから家に帰って新しく縦書きのお品書きを書き上げ、そして再び、会場へと戻る。二日目は花火も上がるというので、人出も多い。メインであるアユの塩焼きはお昼から用意していただいたが、やはり売れ行きがよい。「去年食べて美味しかったから、今年も食べたいと思ってきた」と言ってくれる。小ぶりの天然アユの人気が高い。
友人の中学1年になった息子が、おじさんたちに指導されて、黙々とアユを串刺している。この子は長男坊だが、とてもよく気が付き、串焼きの手が足りないと見るとすっと前に行って串を回している。滅多にしゃべらないが、大人たちに混じってよく働く。ただ一度、おばさんに小学校1年の男の子の面倒を見てねといわれた時は、ちょっと引けていた。家と同じことはしたくなかったかもしれない。
祭りが終わり、後片付けも済めば、やはり今日の反省会がしたくなるのが人情である。立ちっぱなしで、ロクに食事もしていない。飲み物も食べ物も何もない。コンビニでビールとつまみを買い、我が家での反省会となった。酔うほどに飲むほどに、陽気になって来年もまたやりましょうと言う。中学生のあの子も酔っ払いのおじいさんおばあさんに最後まで付き合ってくれた。
今朝はNHKテレビで、広島の平和祈念式典を見た。秋葉市長は、世界の都市が手をつなぎ核廃絶に向けて取り組んでいることを話した。そして日本政府は、憲法を守り、時代遅れの力の政策を取るアメリカ政府に「ノー」と言わなくてはならないと述べた。続いて登壇した二人の小学生のメッセージは、21世紀の未来を託すにふさわしいと思った。感激性の私は涙が止まらなかった。安倍首相が秋葉市長や子どもたちの言葉をどのように聴いたのだろうかと興味を抱いた。総理大臣としての安倍首相の言葉は、憲法を守り、再び戦争を繰り返してはならないというものであった。
「憲法改正が私の任務」と言う安倍首相が、こうした平和記念式典の中で、自分の思いと違うことを何の躊躇もなく言い切れることに寒気がした。これが政治家だよというかもしれないが、そんな政治家は「廃絶」しなくてはいけないのではないか。自分の考えが正しいならば、いつでもどこでも堂々と述べることが政治家の使命だと思う。受けの良い適当な言葉で国民を誤魔化す、この手にはうんざりである。
メッセージを読んでくれた小学生たちが、あるいは夏祭りに父親と一緒に参加し、最後までくだらない大人のおしゃべりに付き合ってくれた中学1年の子が、大人になるまでの後10年で本当に世界は変るだろうか、ちょっと見通しは暗いような気がする。でも信じたいと思う。