友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中学のクラス会の前に

2007年08月28日 23時57分26秒 | Weblog
 また、酔っ払って書いている。中学の時の友だちの家に、行った。彼を誘ってどこかで昼飯でも食べようと思っていた。中学の時からの友だちと彼の家を訪ねると、「まあ上がれ」と言う。言われるままに上がり、そうか私は「昼飯を一緒にどこかで食べられないか」と、彼に電話し、素直に「おお、いいよ」と言うので、てっきりどこかで食べるものだと思っていたが、そうではなかったと気が付いた。

 昼間だったのに、奥さんの手料理で酒の肴が用意されていた。彼は「飲もう、飲もう」とビールを持ってくる。「いや、これからクラス会の打ち合わせだから」と初めは辞退したが、彼が私たちが来るのを楽しみにしていたことがよくわかった。それに奥さんもそのために料理を作ってくれたのだ。いらないなどとは言えなかった。

 3人で飲むのは、以前、彼の家に来た時以来だ。その時は奥さんも一緒だった。酒宴の中であの時、ストリップを見に行った話をしたことを、彼は友人に「ほんとにお前は下品なヤツだな。家の人間のいる前ではああいう話はするもんじゃーないぞ」と言う。ストリップに人一倍関心があったのはお前の方じゃーないのかと、私は思ったが、同時に、彼は奥さんのことを気にしているんだなと思った。

 いつもいつもマイペースでかなり格好付けて生きてきたように思っていたけれど、奥さんの前ではやはりいい子でいたいのだと思った。男は奥さんの前ではいい格好でいたい存在だ。へまもやるし、信頼も裏切るが、いい子でいたい。自分が奥さんを結果としてはないがしろにしていたとしても、いやそうではないよと言っておきたいのだということがよくわかった。好きになった女の方が女房より安心して居れるという男もいるが、彼も奥さんと別れないのは、奥さんの価値を認めているからだろう。

 私たちは中学3年の時に初めて同じクラスになって知り合った。その3年の時の秋以降に、私たち3人と女の子2人、さらに膨らんで、男の子が5人でよく遊んだ。遊んだというよりも、女の子の家に上がり込むことが多かった。彼女たちのお母さんは、私たちを快く迎え、食事をしたのかおやつを食べたのか、定かではないが、面倒を見てもらった。女の子が大阪に引っ越してしまったのに、男ばかり5人で彼女の大阪の家に遊びに行き、泊めてもらったこともある。今らか考えると、彼女のお母さんの偉大さがよくわかる。

 男という生き物のおもしろさについては、一緒に行った友人が体現していると私は思っている。それで彼には「彼女のことを、彼女とのことをもっと聞かせてもらって、僕が小説を書くよ」と言っている。私は本気でそう思っている。それは男の生き方を象徴しているからだ。まあ、いつか老いた男の恋物語がブログの載っていたら、その友人のことだと思っていただきたい。彼は今も男と女の友情を信じているのだから。

 昼間のお酒は酔いが早い。彼に別れを告げ、クラス会の打ち合わせの場所へと二人で行く。少ししか飲んでいないとはいえ、飲んだことに変わりないから、これで交通事故でも起こしたならば、飲酒運転の30万だけではすまなくなる。気をつけて、気をつけてと思いながら、打ち合わせの場所へ行く。ここで、さらに3時間も話し込んでしまった。

 どんな人生であろうと、その代わりができるものではない。私たちは還暦を過ぎてしまった。友人が言うように「これから何をするというものでもないだろう」。浴びるように酒を飲むのもいいし、何年来の女友だちとプラトニックに付き合うのもいい。要するに悔いのないように生きることが一番だなどと勝手な結論を導き出す。これって、やはり歳のせいだなと思う。

 明日は濁河温泉に行ってみる。高校の教師をしていた時、その手前の秋神温泉に何度か宿泊した。顧問をしていたブラスバンドがこの土地の民宿で夏季合宿をしていたためだ。始めての年は子どもと同じ民宿に泊まったが、生まれたばかりの子ども連れでは泊まれるようなところではなかったので、その奥の秋神温泉に宿を取った。今では氷の芸術で知られる宿になってしまったが、当時はほとんどお客のないひなびた宿だった。もう一度、その秋神温泉を見てみたいし、あの時、いけなかった濁河温泉に泊まってみようと思い立った。

 さて、我が家のさなぎは身体がさらに白くなった以外に変化なし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする