友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

テレビで白痴化

2007年08月07日 17時13分09秒 | Weblog
 私の友人に、「子どもにテレビを見させるのは、子どもを白痴にするだけだ」と言い切る人がいる。テレビを見ることが全て白痴につながるとは思わないが、テレビ文化の創成期に評論家の大宅壮一氏が「一億総白痴化」という言葉を投げかけたが、確かにそうなろうとしているなと思う。最近のテレビ番組はどの局も余りに良く似ている。バラエティー番組という馬鹿馬鹿しさを売りにした番組が実に多い。

 中学1年の孫娘は水泳が好きで、夏休みも朝早くからプールに出かけ、夕方もまたプールに出かけ、一日の大半を水泳に使っている。中学生になったので学習塾にも出かけている。余り好きではないというピアノも続けていて、空いた時間はピアノを弾いている。クラスの子どもたちがテレビ番組の話をしていても「ついていけなかった」と言う。この夏休みはどうしても見たいテレビがある時は、我が家に来て見ている。ファミリードラマか恋愛ドラマが多いから、私は知らん顔をしている。

 娘たちが子どもの頃、テレビは私が許したものしか見てはならないと言い、娘たちの大反発を招いた。「ヨソはヨソ。ウチはウチだ。これは我が家の決まりだ」と押し付けた。テレビは、大人が働いて疲れて帰ってきて、その疲れをなくすために見るものだ。子どもであるあなたたちは別にウサ晴らしをする必要が無いのだから、テレビを見る必要が無い、というのが私の屁理屈だった。でも、一緒にニュースや野球放送は見た。でもそのうち、孫娘と同じように、私の知らないところでテレビは見ていたようだ。

 NHKは受信料を払わされているのだから、民間とは違う番組を放送して欲しい。NHKがどうして民間でもできる、歌番組やクイズ番組やドラマを放送するのか、私はとても不満だ。紅白歌合戦はもう終了してもいいし、日曜日の大河ドラマも必要ない。どれだけのお金をかけて作っているのか知らないが、もうNHKがやる時代ではない。これからのNHKは図書館のレファレンスのような役割でいいのではないか。そんなものはいらないというのであれば、NHK職員には申し訳ないが、NHKは解散した方がよいと思う。

 新聞でもラジオでもテレビでも、マスメディアはそれぞれが個性を持つというか、主張がある時代になるべきだと私は思っている。「報道機関が中立でなければ信用できない」という人がいるが、報道機関が中立などということはあり得ない。今は、報道する立場で見方は違うのに、中立であろうと努力しているだけのことだ。だから、この新聞社は、この局は、こういう姿勢を貫いていると受け手がわかる方が良いのではないか。この局の主張の方が、この新聞の取り上げ方の方が、自分の考えに近いと思えば、その新聞や局の報道に注目するだろうし、「自分の考え」をより検討することもできるのではないか。今日のように、マスメディアがどこも同じような色合いであることは、そうではない色が見えないわけで、これは受け手には怖い仕組みだと思う。
コメント (1)
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