友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

終戦記念日

2007年08月16日 01時03分26秒 | Weblog
 終戦記念日が第2次世界大戦の終了の日だと思っていたら、9月2日の降伏調印をもって戦争の終結というのが、国際法上の終戦だと物知りの先輩から教えてもらった。今日の中日新聞はおもしろい特集を組んでいた。朝日新聞と読み比べると、朝日新聞の姿勢がダメなことがよくわかる。朝日新聞をリベラルなどと思っているのは、朝日新聞に未だに幻想を抱いている人たちに過ぎない。

 中日新聞は、経済同友会の品川正治さんと新右翼の鈴木邦夫さんの対談を特集している。品川さんは一兵卒として中国戦線の戦闘部隊にいた体験を語っている。戦争が終結した時、軍隊の中では士官学校出の青年将校が、“「敗戦」と言わずに「終戦」と言う日本政府の姿勢は、国力が回復したならばこの恥をそそぐのが大和民族の生き方であるのに、「終戦」と言うは国民の方向を誤らせる”と主張したが、戦闘部隊の兵士たちは“我々は二度と戦争をしないという意味の「終戦」で結構だ”といった争いがあり、兵士の言い分が多かったと語っている。

 日本国憲法を読んだ時は、「二度と戦争はしないと、憲法で書いてくれた」と皆泣いたと品川さんは語る。鈴木さんは成長の家に入っていた母親が「日本が負けてほっとした」とぽつりと言ったのを聞いて愕然とし、戦争では虐殺も侵略もあっただろう、アジアの皆様にご迷惑をかけて申し訳ないというくらいの謙虚さこそが本来の日本主義だと言う。鈴木さんは、安倍政権下での改憲には反対だと言いながら、日本人にとって理想的な憲法に作り直すべきだと主張する。これに対して品川さんは、“日本の憲法はアメリカ人の命もイラク人の命も一緒だと、堂々と言わなくてはならない憲法です。日本だけ平和ならいいという、一国平和主義とは違う。憲法9条こそ、現在の世界が持たなくてはならない理念だ”と主張する。

 私が中学生の時、一番不思議に思ったのは、自ら自害した軍人が少なかったことだ。戦争で確かに皇軍は負けたかもしれないが、どうして責任を取って自害した人が少なかったのだろう。先の物知りの先輩にそのことを尋ねると、参謀といわれた将校たちは自分たちが捕虜になっているという自覚はなかったのではないかと、と言う。確かにそうであるかもしれないが、東条英機陸軍大臣の名をもって発令された『軍陣訓』をもって、「虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」と言い続けた人間がなぜ、自決して自己の責任を果たさなのかとずーと不思議でならなかった。

 実際、戦争を推進してきた人々は自己責任をどのように取ったのかとなると皆無に等しい。私にはこれが理解できなかった。わが国は武士道の国で、武士道は責任者である自分が自らの命を断つことで、部下の命を救うというものだ。戦で負けた殿様は、自らの命と引き換えに部下たちの命を守ってきた。ところが、天皇も政治家たちも誰も自決して責任を取らなかった。政治の責任者はいつも自らの責任は回避して、自己保身に走る。安倍総理は先の参議院選挙で、自民党が敗北したにもかかわらず、責任を取るとは決して言わない。自民党の恐ろしさは、誰もその責任を取ろうとしないところだ

 武士道にのっとれば、自分が腹を切って死ぬことで、部下たちの命を守った。ところが先の大戦では、その責任的な地位にあった者で、人々に強要したように自ら自決した指導者はいなかった。愛国者とか言うならば、自ら死をもって責任を果たすべきではなかったのか。私はそう思っている。
コメント
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