暑い。それに飲み会が続き、とうとうバテた。身体は不調ではないが、何もしたくない。完全にウツ状態に陥った。ブログに書き留めておきたいことはあったのに、パソコンに向かう気力がなくなっていた。確かに、夜は時間が無かったけれど、その気になれば、昼間に時間を作ることはできた。なのに、暑い。パソコンに向かわずに、テレビでの高校野球観戦に身をゆだねてしまった。
今日、『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』主催の公開講座が開かれた。代表の座を降りたので、気軽な気持ちで参加したが、「ブログを読んでいる」とか、「あんなこと書いて大丈夫なんですか」と言われて、イカン!怠けすぎだ!と言われているように思った。たぶん、彼はそんな意図はなく、ブログを時々読んでいますよという一般的なメッセージだったのだろうが、怠けていることを意識していた私は、それで「これじゃーいかん」と知らされたのだ。
今、孫娘は母親が夜勤でいないことをいいことにして、読売テレビの24時間テレビドラマ『君がくれた夏』を見ている。私も一緒に見ようと思ったが、「そうだブログをやらなくちゃー」とパソコンに向かっている。外では、中学生なのか高校生なのかわからないが、若者たちが奇声を上げて、青春を謳歌している。それぞれが、今を生きている。その営みはズーッと続いてきた。
お盆の最後の日、カミさんの実家で送り火をした。カミさんの両親には本当にお世話になった。私は高校生の時に父も母も見送った。だからカミさんと知り合った時はててなし児だった。この時、すでに我が家は破産し、私はいわばどこのどいつかもわからない根無し草に等しかった。にもかかわらず、結婚を許してくれた。それが、5年も経ないうちに、私は内ゲバに巻き込まれて教員を退職した。カミさんの両親にしてみれば、娘の婿に深く絶望させられたことだと思う。
私に血のつながる者たちは「熱い」ヤツが多いのかと思っていたが、カミさんの実家で飲んで食べているうちに、カミさんの妹が「兄弟ってなんなの?」「家族って何?」と言い出した。義妹は身体が小さいが、だからといって小さすぎるわけではなく、とてもチャーミングで賢い。女としての魅力もある。そのことに目を向けず、なぜか姉や兄のように期待されなかったと思い込んでいる。そのことが60年近くにもなっても、彼女の心には残っているようで、フトした話から、口に出たのだろう。「熱い」思いを涙ながらに口にする義妹は、何かをつかみたかったのだと思った。
私は男だから、なかなか人前で弱さを見せられない。本質的にそうなのか、そのよう教育されてきたのか、そこはわからないが、自分をさらけ出すことはできない。カミさんや娘たちから非難を受ければ、ただただ耐えるより他ない。人が100%理解し合えるなんてあり得ない。自分自身でさえも100%わからない。それが人間だと思う。だから人は他人を理解したいと思うし、つながりを大事にするのだろう。
今日の自治ネットの公開講座には、予想を超える人々の参加があった。議会のあり方、人が作り出した社会のあり方、そこに在る理想と現実、つながりとそういかないもどかしさ、生きていくことの様々な問題を抱えながら、私たちはなお生きていかなくてはならない。これが地球上に生きるものの宿命だ。
今日、『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』主催の公開講座が開かれた。代表の座を降りたので、気軽な気持ちで参加したが、「ブログを読んでいる」とか、「あんなこと書いて大丈夫なんですか」と言われて、イカン!怠けすぎだ!と言われているように思った。たぶん、彼はそんな意図はなく、ブログを時々読んでいますよという一般的なメッセージだったのだろうが、怠けていることを意識していた私は、それで「これじゃーいかん」と知らされたのだ。
今、孫娘は母親が夜勤でいないことをいいことにして、読売テレビの24時間テレビドラマ『君がくれた夏』を見ている。私も一緒に見ようと思ったが、「そうだブログをやらなくちゃー」とパソコンに向かっている。外では、中学生なのか高校生なのかわからないが、若者たちが奇声を上げて、青春を謳歌している。それぞれが、今を生きている。その営みはズーッと続いてきた。
お盆の最後の日、カミさんの実家で送り火をした。カミさんの両親には本当にお世話になった。私は高校生の時に父も母も見送った。だからカミさんと知り合った時はててなし児だった。この時、すでに我が家は破産し、私はいわばどこのどいつかもわからない根無し草に等しかった。にもかかわらず、結婚を許してくれた。それが、5年も経ないうちに、私は内ゲバに巻き込まれて教員を退職した。カミさんの両親にしてみれば、娘の婿に深く絶望させられたことだと思う。
私に血のつながる者たちは「熱い」ヤツが多いのかと思っていたが、カミさんの実家で飲んで食べているうちに、カミさんの妹が「兄弟ってなんなの?」「家族って何?」と言い出した。義妹は身体が小さいが、だからといって小さすぎるわけではなく、とてもチャーミングで賢い。女としての魅力もある。そのことに目を向けず、なぜか姉や兄のように期待されなかったと思い込んでいる。そのことが60年近くにもなっても、彼女の心には残っているようで、フトした話から、口に出たのだろう。「熱い」思いを涙ながらに口にする義妹は、何かをつかみたかったのだと思った。
私は男だから、なかなか人前で弱さを見せられない。本質的にそうなのか、そのよう教育されてきたのか、そこはわからないが、自分をさらけ出すことはできない。カミさんや娘たちから非難を受ければ、ただただ耐えるより他ない。人が100%理解し合えるなんてあり得ない。自分自身でさえも100%わからない。それが人間だと思う。だから人は他人を理解したいと思うし、つながりを大事にするのだろう。
今日の自治ネットの公開講座には、予想を超える人々の参加があった。議会のあり方、人が作り出した社会のあり方、そこに在る理想と現実、つながりとそういかないもどかしさ、生きていくことの様々な問題を抱えながら、私たちはなお生きていかなくてはならない。これが地球上に生きるものの宿命だ。