今日は大和塾の8月例会。昨年の9月に発足したからもうすぐ1年になる。例会の後、機関誌『風』の題字を揮毫してくださった書家の久保田関山さんを県美術館に訪ねた。
私のブログを見てくださった人が「いろいろやってみえるんですね」と言ってくださったが、選挙で敗北して以降はそんなにたいしたことはしていない。
今、やっていることといえば、1)大和塾の事務 2)国際交流マインドの日本語クラスとある会社の日本語教室 3)無党派市民派・自治体議員と市民のネットワークの会計 4)週1回のデイサービスの手伝い の4つだけである。1)と2)と3)は、お金の管理もしているので、間違いのないようにと気を遣っているが、扱う金額は誠にわずかでしかないので、その点では難しくは無い。
地域住民の皆さんとの親睦会「一期会」は、春の夜桜の宴、夏の平盆まつり、秋の行楽、我が家で行う年越しの宴があるが、これらは優秀な友人が企画してくれるので、のっかっているに過ぎない。先の平盆まつりのご苦労さん会が9月に計画されているし、秋の行楽は一泊旅行でやると、会の代表は言っている。私が議員だった時よりも皆さんはのびのびと行事の計画を立てられているようだ。それはお互いの親睦が寄り深まった証左でもある。
マンションの自治会役員を一緒にやった仲間で、月1回の誕生日会も続いている。これはただの飲み会で、会場をそれぞれが受け持ち、それぞれが1品持ち寄ってきて、食べて飲んでおしゃべりする。月に1回、会わないと淋しくなるほど定期化している。おしゃべりしていることは、いつも大体同じことなのだが、かえってそれが居心地のよさというか、気心が知れているせいで、時間が過ぎ去ることを忘れてしまう。
今日も大和塾の例会で、「いろんな人がいて、いろんな話が聞ける、あるいは言える、それがいい」という話が出たが、間違いなくそのとおりだろう。それでいて、基本的なところで、同じような考え方、同じような価値観、同じような感受性を持っているので、話が盛り上がるのだと思う。「戦争は絶対しちゃーいかん」という点で、大和塾の塾生は一致している。だけれども、全く同じではないし、違う部分の存在を認めていける度量がある。
考え方が違う者を許せない。敵対するものを容赦しない。そう私たちはそうは思わない。歳をとるということはいろんな経験から、寛容になれる。寛容ではあるけれど、だからといっていい加減で良いというのではない。論争はするが、抹殺する道は間違っていると考える余裕が私たちにはある。年寄りであることを誇りに思う瞬間である。詩人、金子みすずの「みんなちがって、みんないい」という詩を思い出す。彼女はただ、童謡のような詩を書きたかっただけなのかもしれないが、彼女の中にある感性はキチンと時代を見ていた。
私たちは、キチンと先を見ているか。そう願っているが。
私のブログを見てくださった人が「いろいろやってみえるんですね」と言ってくださったが、選挙で敗北して以降はそんなにたいしたことはしていない。
今、やっていることといえば、1)大和塾の事務 2)国際交流マインドの日本語クラスとある会社の日本語教室 3)無党派市民派・自治体議員と市民のネットワークの会計 4)週1回のデイサービスの手伝い の4つだけである。1)と2)と3)は、お金の管理もしているので、間違いのないようにと気を遣っているが、扱う金額は誠にわずかでしかないので、その点では難しくは無い。
地域住民の皆さんとの親睦会「一期会」は、春の夜桜の宴、夏の平盆まつり、秋の行楽、我が家で行う年越しの宴があるが、これらは優秀な友人が企画してくれるので、のっかっているに過ぎない。先の平盆まつりのご苦労さん会が9月に計画されているし、秋の行楽は一泊旅行でやると、会の代表は言っている。私が議員だった時よりも皆さんはのびのびと行事の計画を立てられているようだ。それはお互いの親睦が寄り深まった証左でもある。
マンションの自治会役員を一緒にやった仲間で、月1回の誕生日会も続いている。これはただの飲み会で、会場をそれぞれが受け持ち、それぞれが1品持ち寄ってきて、食べて飲んでおしゃべりする。月に1回、会わないと淋しくなるほど定期化している。おしゃべりしていることは、いつも大体同じことなのだが、かえってそれが居心地のよさというか、気心が知れているせいで、時間が過ぎ去ることを忘れてしまう。
今日も大和塾の例会で、「いろんな人がいて、いろんな話が聞ける、あるいは言える、それがいい」という話が出たが、間違いなくそのとおりだろう。それでいて、基本的なところで、同じような考え方、同じような価値観、同じような感受性を持っているので、話が盛り上がるのだと思う。「戦争は絶対しちゃーいかん」という点で、大和塾の塾生は一致している。だけれども、全く同じではないし、違う部分の存在を認めていける度量がある。
考え方が違う者を許せない。敵対するものを容赦しない。そう私たちはそうは思わない。歳をとるということはいろんな経験から、寛容になれる。寛容ではあるけれど、だからといっていい加減で良いというのではない。論争はするが、抹殺する道は間違っていると考える余裕が私たちにはある。年寄りであることを誇りに思う瞬間である。詩人、金子みすずの「みんなちがって、みんないい」という詩を思い出す。彼女はただ、童謡のような詩を書きたかっただけなのかもしれないが、彼女の中にある感性はキチンと時代を見ていた。
私たちは、キチンと先を見ているか。そう願っているが。