友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分がしたいように生きる

2007年08月20日 22時44分54秒 | Weblog
 甲子園大会で、静岡の常葉菊川高校が大垣日大附属高校を破った。この試合だけは見逃さないようにと思って、テレビにかじりついていた。今年の春の優勝決定戦でぶつかり合った両チームがどんな試合をしてくれるのか、楽しみでもあった。

 私自身はチームプレーイの経験が乏しい。子どもの頃は、どういうわけかわからないうちに、地域の子どもソフトボールチームに入れられ、朝早くから練習させられた。何が一番イヤかというと、朝早くから練習させられることがイヤだったという誠にひねくれた子どもだった。足は速かったが、野球に興味はなかった。

 指導者の大人の人は、私を高く評価してくれていたのか、練習が終わるとアイスキャンデーをもらうことが多かったが、私は皆でコツコツ練習することがイヤだった。身体が小さかったから、打者としては非力で打つコツもわからなかったから、たいした選手ではなかったと思う。皆はプロ野球選手に関心があったが、私は選手を誰も知らないくらい無関心だった。一人で黙々と走ることはできても、チームの一員としてスポーツを楽しむレベルではなかった。

 話が逸れてしまったが、私は常葉菊川を応援していた。高校野球はバント戦術が王道のようだが、常葉菊川はまず振らせてくる。それが私を魅了した。高校野球といえば、名電高校のようにバントを使ってくる。勝つための野球に徹している。本当にそれで選手たちは楽しいのかと私は疑問だった。ところが常葉菊川はバントをしない。打たせてくる。これって、高校野球じゃーないかと私は思った。勝つための野球ばかりでは正直言っておもしろくない。

 最近、「楽しんでやります」と言う選手が多くなり、これが日本選手をダメにしていると言われている。要するに「根性のない選手が増えたので、成績は上がらないのだ」というわけだ。私に言わせれば、成績なんか上がらなくて結構だ。楽しんでスポーツをやって何が悪いと思う。国の成績を上げるためにスポーツはあるのではない。スポーツを行うものが自らの限界に挑むから、見ている側が勝手にワクワクしてしまうに過ぎない。

 常葉菊川は私が思い描いているチームとは本質的には違うよと、言われるかもしれないが、今の私はバントという姑息な手段を用いず、何が何でも打っていく姿勢が好きだということだ。選挙の時、とにかく当選するためには違法スレスレでやれと言う人もいれば、当選できるなら違法を覚悟してでもやった方が得だと言う人もいる。残念ながら、私はどちらにも組しない。当選することが一番大事で、何が何でもやることが必要だという意見には反対である。私は、結果はもちろん大事なことではあるが、その過程こそが一番問われることだと思っている。結果よければ全て良しと、考えてきたから、今日のような事態を生むことになったのだ。

 明日は若い女性とデートである。若い女性と話もできず、権力にだけしがみついている男どもには「ザマーミロ」である。人は「自分がしたいように生きる」しかないと言っていた人がいるが、確かにそのとおりだと思う。
コメント
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