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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分の顔

2022-03-08 | わたし
わたしの見た目、外観、ルックス、容貌。
年齢通りだろう。
最近、素敵な若者が電車やバスで席を譲ってくれることがちょくちょくある。
不思議と女性に譲っていただいたことは一度もない。
偏っている。
何故?
よく、女性は自分も若くないのに、ちょっと自分より上ぐらいのお年寄りに席を譲っている。
妊婦さんに席を譲るのは、比較的若い女性や親年齢。
自分の体験や思いがあってのことだろう。

まあそれはそれとして。

マスクをしているから顔の3分の2は見えない。しめしめ。
しかし、おでこは、マスクでは隠れない。
しっかり、ちゃんと、くっきり、皺!!
歳は絶対にごまかせない。
耳なし芳一の、念仏を書き入れなかった耳のようだ。
耳の代わりにおでこだけ引きちぎられる、、、ということはないにしても、、、バレる。

皺取りアンチエイジングの美容整形をする選択肢もある。
が、しない。
病気や怪我でもないのにメスは入れない。
自分の老いた顔は自分で責任を持つ。
マスクだと、(おでこはさておき)目しか見えないので、目が全て。
にもかかわらず、わたしの目は可哀想なぐらい細い。
平安美人ならまだしも、美人という枠組みで却下。
おたふくでもない。頬がふっくらしていない。
コンプレックスでもあるのだが、去年、夫の実家のリフォームをした担当女性が、これがまた目が細い方。
マスク顔しか見たことがないが、お化粧らしいお化粧はしていない。
だが、お客さんと接するという立場上、ノーメイクというわけにはいかない。
薄化粧。
眉とファンデーションだけ。
初めは、お若いのに、アイメイクはしない、全く素材のまま、手を加えない女性だと思っていたが、彼女の有能で熱心な仕事ぶりに、細い目のノーアイメイクも素敵だと思うようになった。
オリジナリティ、個性、強さを感じる。優しさも。
韓国の美容整形で皆んな同じ顔になるような均一的な既製品、型ではない美しさがある。
全員リカちゃん人形、、、みたいな、そういう憧れの顔に近づけて自己満足する人は、それそれで個人の幸せを手に入れてよかったね、である。
が、わたし個人の好みではない。
価値観いろいろ、まして、美の価値観となると、いろいろすぎて、まとまりがつかない。
スキージャンプの高梨沙羅は、整形で綺麗になったようで、それで自信をつけるのは良いとは思うが、前の素朴な顔は味わいがあってなんとも言えない可愛らしさがある。
彼女は元々の自分の顔を変えたかったのかと思うと、少し不憫なような気もする。
綺麗、美人への価値観は人それぞれだが。
自分の顔を自分の好きなようにして何が悪い??である。
好きなようにすればよい。
見る側は、勝手に好きなように感想を抱くだけである。
他人の行動や姿を目にすると、自分の気持ちや考えを知るには良い機会にはなる。
わたしの娘より若い高梨沙羅ちゃんであり、ジャンプ、応援している。

顔以外に特徴や特技がある人は、顔に固執する必要はないと思うが、個人の価値観なので、それは他人がとやかく言う筋合いはない。
さて、自分の顔については、自分が顔の持ち主であるので、とやかく言う筋合いがある。
クレーマーになって、その顔、どうにかしろ、と自分の顔に文句、不平を言ったとしても、対策を練るのは自分。
顔の美の完成度を詰めて考えるとブルーになるが、顔を商売道具にしているわけではないし、一無名人なので、全くなんの問題も影響もない。
自分がどう思うか、だけである。

鏡よ鏡よ鏡さん。
この老けた顔のおばあさんは、だあれ?
視力1.5のクリアな目でマジマジと見てはいけない。
自然の摂理を感じよう。
人間は歳を重ねると老いる、老ける。
好きも嫌いも、嬉しいも情けないも、そんなことは事実を変えることにはならないので、どうせなら肯定的に受け入れる。
どうしても肯定的に受け入れられず、現状を変えたい思いが強いと事実を変えたい原動力から行動力を生み、美容整形したり、いろいろ手を加えるのだろう。

しなしながら、さらっと何ごともなかったかのように涼しげなのはよいが、
ジタバタする思いが見えるのは、カッコ悪いとわたしは思っている。
手を加えた後の見た目が、不自然で加工したのがまるわかりだと、その人のこころの内側が透けて見えて、気の毒なような、滑稽なような、、、そこまで固執するような土台でもなかろうに、、、と、個人個人の感じ方の違いを知る。

だが、自然にまかせたらよい、、、とは思っていない。
そこがわたしの煮え切らないところ。
自然にまかせた人が TVに映ると、あちゃー、と思ってしまう。
やはりTVは、一般人が出るには適していない。
(事件、災害、事故の報道やドキュメンタリーは別)

美しい俳優さんたちが映像として目の前に現れて目を楽しませてくれる。
現実の自分はまた、現実の世界で自分をあれこれ楽しむ。
それでいい。