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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

過去

2022-03-14 | ブログ
書きたくなるパワーはどこから来るのだろう。
わたしの場合、逆噴射的なエネルギーであることが多い。
幸せをお裾分け的な内容は、人徳のある人がすると喜ばれるだろうが、そうでない人がすると、単なる自慢だったり、嫌味だったり、見せびらかしになる恐れがある。
自分ではそんなつもりは微塵もなくても、見る人や接する人にはそう感じることがある。

ブログはその点、仕組みとして優れている。
見たくなければ見なくてもよいし、見られたくなければブロックすることも出来る。
鍵のかかっていない半開きの部屋。
防犯的にロックすることも出来る。

ファンが多いブログや、閑古鳥ブログもある。
お店みたいなものか。
いつも営業していると思っていたら、いつの間にか閉店していたり、全く更新が止まっていたり。
いつ行っても同じ商品が並べられて変化がなかったり。(弊ブログもそう)
面白くもなく目新しくもなく刺激も味もない。
が、毎日ブロガーさんは生きている。
こういうことを平気で書くので、ブロガーさんには嫌われると思う。
しかしながら、各個人個人は皆、全員、それぞれ、唯一無二の存在である。

わたしは、主に書くのがメインで、ほとんど見に行かない。
何故だろう?
自分とコネクト、やり取りがある人のブログしか訪れない傾向にある。
内容によっては一方的に愛読することもある。が、たまにである。

かなり前に読んでいたブログを久々ぶりに訪れると、まだ続いていて、懐かしいやら嬉しいやら。ほっとする。
また、見に来てくださる方々がいるのはとても励みになるが、あまりそこに期待を寄せると共倒れになる。
ずーっと読んでいただいた方が、姿が見えなくなるとがっかりしたり、ご病気かしらと心配したり。
人様に興味を持ってもらえることやリアクションを期待し続けると落胆につながる恐れもあるので、リスクヘッジも心がける。
飽きられるのは当たり前の事実である。

ちなみに、呆れられると思うが、自分のブログを読むととても楽しい。
おぼろげにしか覚えてないようなことでも、ブログを読むとクリアに思い出す。
まあなんとちゃんと書いていること!と過去の自分に拍手。
ツッコミもビシッと。
今の自分では脳が緩んでいて、きっと書けないだろう。
だから過去記事は、気持ちよく読める。
記憶を照合しているようなかんじ。
そして、過去の出来事を題材にしてブログを書いている時の自分を思い出す。
何しろ自分の原体験は一つ、過去は何通りもない。
書くのは、出来事から1年後もあるし、10年後もあるし、半世紀後もあるし、アットランダムな期間に断続的だったりもする。
しかし、何度も書いているうちにだんだん勘違いしたり、思い込みや、思い間違いをすることもある。
ピントが合ってくるのではなく、ぼやけてきたり、二重や三重に見えたり。
過去に書いた記事ほど、おそらく原体験に忠実に書かれているように思う。
時間が経てば経つほどに、事実の受け取り方や当時の感想が変化する。
逆に思い違いを発見したりする。
年齢と共に解釈の仕方が変わってきているとも考えられる。
同一人物による定点観測のようで興味深い。
題材は自分。
研究材料は自分。
変化が楽しい。
が、全く変化していない部分もある。
面白いものである。

※写真は、昨夜、孫制作のミニュチュアお菓子。