最近、涙もろい。
すぐに、涙。
しかも、ストーリーなど追わないようなワンシーンだけでも涙。
ドキュメンタリー番組は当然、涙。
ファミリーヒストリーは、洪水。
古典ミュージカルでも涙。
どうなってる???
感情移入が著しい、、、精神が発達したのか、
はたまた「ベルを鳴らすとヨダレの犬」のごとき条件反射か。
はらはらはらはらと涙は流れ続ける。
ミュージカルも入っている映画「シラノ」のストーリー展開がちょっと変、おかしい、ヒロインの考えや行動が気に入らなくても、なぜか涙。
時代的価値観が受け入れられなくても、またまた涙。
これは最初から泣く気満々で、ハンカチを握りしめて前のめりにスタンバイしているわたしの姿勢にも問題があるのか。
それにしても、、、。
話は変わるが、
若い頃は皆んな魅力的だなあと。
前川清、アントニオ猪木、、、20代、30代の時の輝くような美しさ。
あんな時があったのだと、、、驚く。
ちらりとはリアルタイムでTV等で見ていたが、当時のわたしは全く無反応だった。
棲む世界も違いすぎるし、共通点など微塵もないし、目で追うこともなく、視界の片隅にいたことぐらいしか印象に残らない。
それが今は、、、共通点がある。
何か?
お年寄り仲間となっている。
年寄りの悲哀を共感できる(はず)。
桑田佳祐もお年寄り仲間だが、彼の場合は昔から好感を持ち、ファンだった。
前川清やアントニオ猪木は、全くファンではなかった。
プロセスなんか大嫌い。
NHK TV番組「ファミリーヒストリー」で、前川清を見た。
無表情、無反応の前川清だったが、なるほど、、、と感無量。
芸能人で成功するということはこういうことなのか。
野球選手や芸能界は、本人勝負。
もちろん、才能や運、努力もあるが。
昔の前川清、今のわたしの好みである。
残念ながら時代がねじれてしまって、リアルにご対面、遭遇することは不可能だ。
昔の前川清を昔のわたしは、あまり好きではなかったし、今の前川清を今のわたしは、そんなに血が騒ぐことはない。
わたしが興味を持って知った時が74歳の前川清であり、わたしがジャニーズ級に好きなのは20歳の前川清。
まあそんなどうでもよいことは、どうでもよく。
もしわたしが20歳なら、どんどんいろんな男性を好きになっていただろう。
人生も男性に翻弄されていただろう。
20歳ではないので、翻弄されない。
高校を中退して夜の街で歌っていた男性を好きになったりしたらどうなっていただろう?
芸能界で成功する人はほんのほんの一握り。
ほとんどの人は夢破れ普通の人になっている。
普通ならまだマシ。
それにしてもあのスーツ姿「長崎は今日も雨だった」がデビュー曲で、しかも前川清は当時20歳!!
信じられない、、、。
わたしはGSに熱中していたオマセな小学生だったので、そりゃあああいったタイプの男性は不思議なものでも見るかのごとく。
当時の前川清に少し似ているのが、若手漫才の「さや香」の立ち位置向かって左、背の高い方、新山。
わたしは好きなタイプだー!
だが、実生活では絶対に相手として選ばない。
好き過ぎるものや、コトは、必ず失敗する。
趣味程度がよい。
例えば自分の店に入れ込み過ぎて、採算も考えずに凝りまくってもやがて店じまいの憂き目にあうことが多い。
道楽はほどほどにしなければ。
現実を見る目が不可欠だ。
別に男性を道楽の対象にはしていないが、なんでも好き過ぎには注意。
身の破滅が待っている。
わたしはギャンブラーではないので、夢がない代わりに身も破滅しない。
映画やお気に入り番組で、十分楽しい。
エネルギーや情熱が不足しているのだろうか。
情念など、無い。演歌の世界とは無縁だ。
実にあっさりしている。
お笑いの方が好きかも。
(お笑いはかなり好きだが、TVのバラエティ番組はくだらない)
でも、振り子の振幅が大きく広くて真ん中がない。
平均値は、わたしではない。
こころがどんどん現実から浮遊して、夢ランドを形成してしまう。
泣いたり笑ったり。
特に泣くと、こころの重みが取れ、汚れが落ちるような気がする。
余計なものは流れ落ちるといい。
懺悔もあるかも知れない。
涙が溢れる直前には自覚症状がある。
あ、きたきた、、、もうじき、涙が出る、、、と予兆を感じる。
じーんとくる。
自分の人生、あと20年。
どうやって楽しもうか。
病に冒される可能性もある。
へこたれる局面もあるだろう。
その時はその時。
泣いたり笑ったり、自然体で過ごせたらそれで十分。
特別なゴールはない。