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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

偏狂

2022-03-05 | 日々のこと
今日は月一回の古紙回収日。
読んでない各社の販促情報誌を捨てる前にパラパラとめくる。
その中の一つ。 
収納のプロが断捨離のアドバイス、手ほどきページ。
捨てられない人に、ノウハウを伝授する。
いやと言うほど、耳にタコが出来るほど、その類いの記事は今まで読んだ。
こうすれば?ああすれば?
捨てられますよ。
捨てた後には黄金の幸せ生活が待っていますよ。
急には無理でも時間をかけて捨てていきましょう。

今、使っていないもの。
過去、1年使わなかったもの。
これから使いそうにないもの。
どんどん捨てましょう。


捨てろ、捨てろとうるさい。
断捨離しないことで、断捨離プロのあなたに、わたしは何か迷惑かけました?
断捨離する気がない人は、記事は読まないだろうという憶測か。
薄っぺらい情報誌は、ただでさえ少ない記事の本数なのに、断捨離記事で、読み物を占めてしまう。
この雑誌は何も偏った性質や行動をする人が好むようなものではなく、一般的な情報誌である。
多くの一般ユーザーに送られているもの。

はぁ、、、。
断捨離したくないなら、そんな捨てる間際にパラパラと記事を読まなくてもよいものを。
大きくこころが動くようなことが書いてあるかも?と淡い期待を抱いたが、、、
無駄に終わった。

なんの斬新な切り口もなく、
ただただ断捨離せよ、と。

一年どころか百年も二百年も前の使わない骨董品の山に埋もれている。
しかも、メル○リで、更に新しく骨董品を購入しようという意欲満々のわたし。
断捨離プロは嘆くだろうか。
嘆かないと思う。
というか、嘆かせない。
人の人生に首を突っ込む権利はない。
て、別に強制力はないわけで。
勝手にわたしが記事を読みに行っているだけで。

しかしまあ、自分の考えが明確にわかってよろしいかと。
反対意見を読むと、ほっといてくれ、と反発する自分。
誰にも迷惑はかけていない。
自分の敷地内のかなりセットバックして余地を残したスペースに建てられた建物内に私物を入れて保管している。
それを断捨離しろ、しろと。
(個人的にそんなこと言ってなくて、一般的なアドバイスなんですが。
つい、過剰反応、、、)

断捨離のススメは、生活空間を侵していたり、同居する他の家族の領域を侵していたりするのにもかかわらず、力関係、パワハラで断捨離しないのは、それはよろしくない。
そうではないわけで。
生活スペースは確保されている。

ではあるものの、断捨離、断捨離と騒がれると非常にこころ穏やかに暮らせない。
読まない、聞かない、見ない、で行くか。

不愉快になるのがわかっていながらなぜ、わざわざ読みに行くのか?
ちょっとでも、わたしのこころを動かせてくれ、断捨離へと向かわせてくれることが書いてあるかも知れないと、一縷の望みをかけて期待しているからだ。
だが、読んでがっかり。
言い尽くされたような、古びたフレーズが並んでいるだけ。 
ノイズになるだけ。
で、断捨離するどころか、まだ更に好きなグッズを買い込もうとする自分の背中を自分で押している。
偏向、偏好かなと。
やがてエネルギーが弱まる時は必ず来る(はず)。
その時には、少しだけ捨てようと。
あかんかぁ、、、。

お気に入りのモノは私の血肉の一部。
血肉を切り、捨てよ、と。
人には人のコダワリがある。
偏向、偏愛、偏狂、、、
しかし、あまり進んで人に言いたくはない。
が。 
世の中の波が、すごいパワーで押し寄せてくる。
その波に全力で逆らって抵抗している自分はまだまだ生きる気力があるようだ。