さあ、時間がある。ブログを書こう!!
しかし、これは、目の前に美女がいて、「さあ、あなたの好きにして!」と、
甘い声でささやかれても、こんな美女なのに・・・どうも体が動かない・・・という状態に似ている??
などと、わたしは男性でもないのに、ついつい、男性的な気分になってしまう。
もちろん、男性だけに対してしか、恋愛の対象としては、惹かれない・・・にもかかわらず。
わたしは、体もこころも女性であるが、アタマの一部は男性であるように思う。
かといって、性同一性障害ではない。
・・・
うじうじ女々しい男性を見ると、うっとうしくなる。
でも、小まめにいろんなことに気配りして、やさしく接してくれる男性は好きだ。
これは、育メンの特徴ではないかと思う。
育メンに、生まれつき適している男性と、適していない男性がいるように思う。
が、適すも、適さない、も、それはジェンダー教育のせい、
男とはこうあるべき、こうすべき、という先入観、刷り込みのせいもあるだろう。
そもそもベビーは、がっちりゴツゴツ体型の男性に、抱っこされても、気持ちよくないように思う。
なので、いくら努力して頑張って世話しても、そういう意味では、男性は気の毒だ。
その点、女性は、初対面でも、「わ~、かわいい」と、ベビーをぎゅっと抱きしめると、
ベビーは、抵抗もせず気持ちよさげにしている。
筋肉質の女性や、お肌すべすべ、ぶよんぶよんの男性に対しては、どうかは知らないが。
・・・
今日から、またまたハードな一週間のスタートだ。
今だけだ、こんな、どーでもいいことを、ちんたらこんたら書けるのは。
・・・
さてさて、わたしのブログ、強制隔離の甲斐あって、禁断症状は出ないものの・・・
閲覧数が、するする下降したことにショックは覚えない、と書いたものの・・・
手ごたえがわからない、不確かなものに、何かを求めるのは意味がない、と思ったものの・・・
いやはや、するする下降の下げ止まり、低い数値が通常となってしまい、いささかの失望感を禁じえない。
人間、そのとき、そのときに思うことが違うんですね。
株価みたいなものだ。
ブログを書くことが平常になった場合は、ブログへの依存感、期待感が強まるのだろう。
ブログが書けないことが日常になった場合は、さして気にならないのだろう。
なんて、あたりまえの分析をしてみる。
今日は、お経(蝶ブログ教)を唱える気分にもならず、ブログへの依存も一旦離脱した後は、
また新たに、蝶ブログとの新しい対面、取り組みとなる。
わたしの成長?はたまた気分とともに、ブログのカラー、コンセプトが変わる。
ブログに頼り、救いを求めていたが、
新生スローは、ブログと共に歩む、というスタンスにしようかと思っている。
つまり、普通のブログだ。
もともと、普通のブログなのだが。(だらだら長文が特徴)
「普通」というのは、けっこう好感が持てる、と最近、感じる次第である。
停滞の後は、作動、行動。
歩き始めるのも悪くない。
しかし、これは、目の前に美女がいて、「さあ、あなたの好きにして!」と、
甘い声でささやかれても、こんな美女なのに・・・どうも体が動かない・・・という状態に似ている??
などと、わたしは男性でもないのに、ついつい、男性的な気分になってしまう。
もちろん、男性だけに対してしか、恋愛の対象としては、惹かれない・・・にもかかわらず。
わたしは、体もこころも女性であるが、アタマの一部は男性であるように思う。
かといって、性同一性障害ではない。
・・・
うじうじ女々しい男性を見ると、うっとうしくなる。
でも、小まめにいろんなことに気配りして、やさしく接してくれる男性は好きだ。
これは、育メンの特徴ではないかと思う。
育メンに、生まれつき適している男性と、適していない男性がいるように思う。
が、適すも、適さない、も、それはジェンダー教育のせい、
男とはこうあるべき、こうすべき、という先入観、刷り込みのせいもあるだろう。
そもそもベビーは、がっちりゴツゴツ体型の男性に、抱っこされても、気持ちよくないように思う。
なので、いくら努力して頑張って世話しても、そういう意味では、男性は気の毒だ。
その点、女性は、初対面でも、「わ~、かわいい」と、ベビーをぎゅっと抱きしめると、
ベビーは、抵抗もせず気持ちよさげにしている。
筋肉質の女性や、お肌すべすべ、ぶよんぶよんの男性に対しては、どうかは知らないが。
・・・
今日から、またまたハードな一週間のスタートだ。
今だけだ、こんな、どーでもいいことを、ちんたらこんたら書けるのは。
・・・
さてさて、わたしのブログ、強制隔離の甲斐あって、禁断症状は出ないものの・・・
閲覧数が、するする下降したことにショックは覚えない、と書いたものの・・・
手ごたえがわからない、不確かなものに、何かを求めるのは意味がない、と思ったものの・・・
いやはや、するする下降の下げ止まり、低い数値が通常となってしまい、いささかの失望感を禁じえない。
人間、そのとき、そのときに思うことが違うんですね。
株価みたいなものだ。
ブログを書くことが平常になった場合は、ブログへの依存感、期待感が強まるのだろう。
ブログが書けないことが日常になった場合は、さして気にならないのだろう。
なんて、あたりまえの分析をしてみる。
今日は、お経(蝶ブログ教)を唱える気分にもならず、ブログへの依存も一旦離脱した後は、
また新たに、蝶ブログとの新しい対面、取り組みとなる。
わたしの成長?はたまた気分とともに、ブログのカラー、コンセプトが変わる。
ブログに頼り、救いを求めていたが、
新生スローは、ブログと共に歩む、というスタンスにしようかと思っている。
つまり、普通のブログだ。
もともと、普通のブログなのだが。(だらだら長文が特徴)
「普通」というのは、けっこう好感が持てる、と最近、感じる次第である。
停滞の後は、作動、行動。
歩き始めるのも悪くない。