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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

孤高

2014-05-23 | 日々のこと
さあ、一方通行、出口のないブログ、今日もスタート。
時間制限があるのが、非常にせわしない。
なぜなら、またまたベビーが熱を出し、現在、引きこもり子守をいているので。
ベビーが寝ている、この一瞬に書ききらなければ、と焦る。
昨日、夕方からお呼び出し。
熱が出たので、保育所から、お迎えコールあり。
昨日に引き続き、ステイ保育。

一日中、ベビーとだけ向き合うと、長い長い長い。
ベビーといっても、二足歩行はするし、おサルぐらいの知恵はあるし、
口(食べるほう。まだ言語は話さない)はあるし、で、なかなか、手がかかる。

まあ、それはそれとして、寝ているときは天使ではあるが、
やはり、谷間にかかる桟橋を、走り渡るそのすぐ後ろから桟橋が切れて落ちていくような、
うしろから迫ってきている感があり、ブログには集中できない。

しかしまあ、過去において、自分も子供を保育所にも入れずによくまあ、一人で面倒見たものだと、
われながら、感心する。
(その節は、義母には、かなりお手伝いしていただき、お世話になったが)
一日中子供と向き合って、よく耐えられたものだ。
若さ、ゆえか。
自分のすべきことだと思って、黙々とやっていたようだ。

いくら、あどけないベビーと言えど、
閉ざされた空間に一日中、二人だけだと、密閉されていて出口がなく、空気が滞ってくるのがよろしくない。
なので、次から次へと、気分を切り替える工夫が必要。
ベビーが飽きないように、そして、自分もうんざりしないように。
夕方になると、さすがに外に散歩に出かけたくなる。
外の空気を吸いたくなる。
外部の人たちの風景を見たくなる。

密閉されている相手が、かわいい顔をした無邪気な子供なので、それは救われるが。
将来に向かって伸びていく子供であるからして。
子供は個人のためだけでなく、社会全体の宝であるからして。
それは、意義あることだと自分の背中から、がんばって~と自分に拍手を送る。

・・・

自分は、このまま死んでも、とても幸せな人生だったと思うことだろう。
だが、役割を全部、果たしきっていない。
孫守サポートも、親の見送りも、していない。
夫に関しては、お互い様なので、わたしが見送るのか、見送られるのか、どちらがすべきという強制的な位置付けはない。
だが、男性のほうが、平均寿命が短いので、多くは、妻が夫を見送ることになる。
夫が亡くなってから、妻はあと10~20年近く生きる。

テレビで、妻の世話や介護を甲斐甲斐しくしている夫が取材されたりしているのを見ると、
夫はわたしの世話などとてもできない、と公言している。
わたしも、そう思う。
わたしは、身内の世話にはならないつもりで、せっせせっせとお金を貯めている。
わたしも、夫の世話をする時が来たら、「誠心誠意尽くして面倒見ます」、とは、公言できない。

・・・

いかに、人の手を煩わせることなく、この世を去るか。
立派な人は、自身の消滅際まで、立派である。

・・・

とりあえず、孫サポートと、親のサポート。
これを先にしないと、楽にこの世から、サヨナラさせてもらえそうもない。

孫がいない人もいる。子供がいない人もいる。配偶者がいない人もいる。
それはそれで、うらやましかったりするが、精神的にも特定の人には依存できず、
わたしの知っている人々は、孤高の人であるケースが多いように思う。

それはそれで、自分に厳しい。が、他人にも厳しい。
甘い甘いわたしには、難しい生き方である。
孤高の人の、崇高な生き方に対する努力は認めても、同じような路線は歩めない。



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