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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

薔薇色か、ねずみ色か

2014-05-18 | 日々のこと
ブログ中毒。
禁断症状は、おさまってしまったようだ。
なぜなら・・・
強制隔離のせいである。

ブログを書く暇、余裕がない。

日常が忙しくなり、オーバーワーク気味になってくると、
パソコンに向かう気力がなくなる。
電車の中や布団の中で、ブログを再読して楽しむゆとりなどは、もちろんなく、
実際のリアルな人々への連絡事項などのメールのやり取りに追われる。

当然ながら、閲覧数は、するすると下降してくる。
でも、あまり気にならない。
わたしは、ブログよりも、実際の生活のほうがウエイトが大きい。(あたりまえか・・・)

自己満足であり、なおかつ、反応や、つかみどころのないブログより
現実の行動から来る手ごたえのほうが、がつっと来る。

もちろん、ブログは、まったく架空のことではない。
仮想だけの世界にとどまらず、現実と微妙につながっている。
嘘八百を書いていない、ストレートなわたしそのもののブログ(誇張表現や演出は、多々多々多々あるとしても)と、
そのブログを読んでくださった人々と、現実の世界でつながっている、この紛れもない事実。
これには、不思議なような、なんともいえない感覚を覚える。

・・・

ちなみに、話は、ころっと変わるが・・・

立ち読みした。

そこで、老いを楽しめるのは、わりと不真面目なアホ・タイプが多い(・・・わたし流解釈)、という本を読んだ。
タイトルは、ずばり・・・忘れたが、上記のような内容。
「老いを楽しむ方法」的なタイトルだったか???(忘れた・・・)

内容は、驚くほど、今、わたしがやっていることと、ほとんど同じ。
提案者の人の顔が見たい、こんなので本になる?というぐらい。
きっと、真面目な人向きの本なのだろう。
定年したばかりの、自由時間を何に使っていいかわからない、仕事人間で生真面目に生きてきた人向きなのだろう。

あれこれの、ススメ、ということがズラズラと書かれていて、
ほとんどすべてわたしは、やっている。
目新しいことは、ひとつもない。
漏れがないか、答え合わせをしているかのごとく。

なにも、わたしは、本を参考にしたわけでも、人の生き方を参考にしたわけでも、意識したわけでもない。
そこに書かれている内容に、ぴったり当てはまるような、雛形、サンプルを実践しているかのようなわたしは、
おそらく、おそろしく平凡な人間なのだろう。
他人が提案、想像できる範囲内のことばかりだからだ。

が、その本に書かれていない内容のことも、もちろんある。
その本の内容がすべてだったとしたら、これまた悲しすぎる。
マニュアル小僧みたいだ。


「年を取ったら、都会に住んでみる」という項目と、
「年を取ったら、田舎に住んでみる」という相反する項目があった。
この本は、ああしなさい、こういなさい、というものではなく、
こんな考えもあります、あんな考えもあります、と、提案、発想のヒントを与えているものだ。

筆者としては、両方の良い点を説明していたが、明らかに、地方のほうを薦めていた。
なぜなら、割かれているページ数が、都会より、田舎のほうが、断然、多かったからだ。

都会のほうが、お年寄りのファッションは素敵で、若々しい、という説明もあった。
確かに、そのとおり。

ダンスホールの更衣室で、
「田舎で派手なファッションをしていたら、すごい目で見られるので嫌になる」とぼやいていた、
派手なおばさんがいた。
都会なら、ぜんぜんOKである。
そういう人は、ごろごろしているから。
若々しいのか、ケバケバシイのかは、ご本人、各自、それぞれの感性の違いであるが。
わたしの目から見ると、イキっている、さりげなさがない、アクを強調しすぎ、素材の良さを感じない。
人と同じなのが嫌で奇をてらっているが、
奇のてらい方が、結局は結果として、他の奇をてらう人たちと同じになっている。
純粋なオリジナルではなく、一定の既成品になっている。

だが、たんなる好みの差であると思う。
彼女から見ると、わたしなんぞは、地味で、しょぼいのかも知れないし。


ファッションにも、理知的でクール派、エレガント派、ブランド派、個性派、ハデハデ派、
アンチ○○派、コンサバ(伝統保守)派、モダン派、前衛派、機能快適派、どうでもいい派、がある。
田舎では、おそらく、灰色や、曇った、くすんだ色を着ているお年寄りが多いかも知れない。
欧米や、アフリカの女性は、年齢に左右されず、原色の美しい色の服を身にまとう。
民族衣装も、そう。
文化の違い。
地味派もハデ派も、みんな、好きにすればいいと思う。

ただ、みんなと足並みを揃えなければいけない、という発想は、わたしは苦手だ。
しかし、近年、年と経験を積み、TPOに応じた服装をしたほうが、自分が快適であると感じるようになった。
TPOをわきまえない服装は、自分自身、非常に居心地が悪い。
たとえ、それが旅先であったとしても、うまくTPOによって使い分けている旅人を見ると、
そのスーツケースの荷物はごく少ないのに、知的な選択には感心させられる。

アタマがカチンコチンの人も苦手だ。
自分がこうだから、人もこうでなくてはならない、と決め付ける。
そういう人々が、同じ地域に何世紀も住み続けると、閉鎖的な考えが根を張る。
田舎で自由な風土が根付かないのには、わけがあるようだ。

・・・

田舎暮らしを夢見て、IターンやJターン、Uターンする人が少なくないが、
地元の人々との濃厚な関わりは、けっこう大変かも知れない。
同じ地域に住む他人との距離感が違う。
「よそ者扱い」という距離感もある。


「年を取ったら、都会に住んでみる」
「年を取ったら、田舎に住んでみる」
筆者は、あくまでも、環境を変えて「住む」という提案をしていた。
細々としたことは、さておき、発想の転換として、現在住んでいる家から、大きく場所や形態を変えて、
別のところで暮らしてみる、ということだ。
ただし、これは70歳以降には、引越しは苦痛だろうし、新しい環境に慣れるのは一苦労だろうから、
60代の人向けと思われる。

とは言うものの、年金世代に、そんなゆとりのお金はないのが現状だろう。
孫の出産だの、親戚付き合いだの、決められた額の中から、お金をやりくりするのも、青息吐息。
大きなことはできないけれど、日々のちょっとした変化で、毎日を楽しむ工夫をしている人々も多い。

図書館で居眠りしている男性もちらほら。
定年後、あるのは、健康と時間だけで、暇をもてあまし、ないのはお金。
日中、夫が家にいて、うっとうしくて、と、ダンス会場に日参する主婦の方々もおられる。
行き先がある人は、まだマシ。
500円玉を握らされて、「これで夕方まで帰ってこないでね」、と、
行く当てもなく、家を追い出されるお気の毒な人もいるとか。

健康、お金、人、うまく維持できると、薔薇色の老後なのだけれど。
お金のあまりかからない、健康的な趣味を持つのがよさそうだ。
そこでは顔見知りも出来るだろうし、毎日のリズムも生まれると想像する。
市民スポーツセンターなど行政の運営する施設を使って、スポーツサークルに入るのもいいだろうし、
散歩だけでもいい。

インターネットだけの世界にとどまらず、
・・・一歩、外に行出れば、なにかがある・・・。



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