これまでの人生、あれこれ思い出すと、今までの自分は、なんとひどかったか。
若い頃の、自己チュー、気配りのなさ、思い上がり。
顔が真っ赤になり、次の瞬間、真っ青になり、そして、紫に・・・。
いろんな方々に、ご迷惑をおかけしている。
気が付いただけでも、一歩前進。
そう思わないと、やっていけない。
で、話は変わって・・・(すぐ変わる)
親になって、はじめて親の気持ちがわかる、というが、
わたしは、ババ(=祖母)になってみて、はじめて親の気持ちがわかった。
つまり、一世代、ずれている、遅刻している。
この遅刻は、かなり、大幅遅刻である。
親稼業をやっているときは、親の気持ちなど考える余裕もなく、
ただただひたすら、目の前にあることをひとつひとつ、クリアしていくだけだった。
今、ババ稼業(新米、就任2ヶ月)をスタートしてみて、
なんと今まで、多くの人々の愛、支援を受けて、ここまできたかということを思い知った。
(たったの2ヶ月で!! しかも、今まで、思いつかなかった、って、
この人生の時間配分、・・・あきらかにズレている)
人生のレールに乗っているだけで、ホームに立って電車を待つばかり。
電車が来たら、あらかじめ取ってある指定席に、座り込むだけ。
自分が、何行きの電車で、いつ、着くのか、運賃はいくらなのかも知らなくて、
ただただ、用意されたものに従うだけだった。
自分の手荷物さえ、誰かに運んでもらっている。
なにも考えていないので、段取りやら、注意事項やら、そんなこと、全然、おかまいなし。
そこに居さえすればよかった。
いやはや、ここまで考えなしの人間は、いまどき、幼稚園児でもいないのでは?
考えナシではあるが、「お客さん」のように、選択肢は、2~3ある。
プレゼンテーション後のクライアントのように、一通り説明を受けたあと、
「さて、では、このバリエーションの中で、どれになさいますか?
オプションもありますよ」
そう聞かれ、「じゃ、これで」と、
A案、B案、C案の中で、とくに、プレゼンテーターが、おススメのものを指差す。
ただ、それだけだ。
座っているだけでいい。
プレゼンテーターが、こちらの指定した時間に営業諸氏を引き連れて、やってくるのを待つだけだ。
つまり、おまかせ定食。
自分で、オリジナルであれこれ一から、いや、ゼロから作ると、とてもえらいことになる。
店も、そう。(利用する側ではなく、運営する側)
あまりにも気合を入れて作ると、店舗経営に失敗する。
(料理や、接客、サービスは、気合を入れてやってもらわないと、いけませんが)
インテリアや食器、食材、空間プランニング・・・凝りに凝って、揃えまくると、採算が合わなくなる。
おさえどころだけ、おさえて、あとは、手を抜かないと、
なにからなにまで、力を入れると、経営が成り立たない。
採算度外視、殿様商売、お国のジャブジャブ経営のごとく。
と、ここで、どんどんハナシが脱線していることに、ふと気付く。
で、人生も、そんなような気がする。
結婚も、就職も。
気合を入れて全力を投入するのは素晴らしいが、100点満点を目指すのは、結構であるが、
100点満点は、・・・ない。
ポイントだけは、おさえる。
譲れないところは、譲らない。
あとは、自然にまかせる。つまり、手を抜く。
おまかせ、おススメコースの中からチョイスし、ちょこっと自分らしさをオプションで追加する。
その程度でいい。
ただ、わたしの場合は、あまりにも、おまかせ度合いが大きすぎた。
プロセスをもっとよく観察すべきであったが、景色を見ないでエスカレーターに乗っているごとく、
他人事のように捉えていたせいで、
いざ、「はい、じゃ、自分でやってみて!」と、バトンと受けると、あらら、どうやって、やるの?と、うろたえる。
説明書、片手に四苦八苦、自分で出来る限りのことはやってみたけれど、
「もう、無理。できない。だれか、助けて!!」
「電源、入れてませんよ」
「ありゃ、りゃ」
となる。
見よう見まねで、やるしかない。
が、上手い具合に、遺伝子・伝授にメリハリ現象が現れた。
シッカリ者→だめだめ者→シッカリ者。この順序。
縦列、上列には、しっかりした親の後に、しっかりしていないわたしが、配置され、
その下に、しっかり者の子供が来る。
強→弱→強。
つまり、上から、下から、サポートしてくれるわけで、
ババは、大ババに支えられ、子供に支えられ、どうにかこうにか、ババの位置を確保する。
首がグラグラしている、2ヶ月児と同じようなものだ。
2ヶ月児は、3ヶ月になると、首も段々しっかりしてくる。
ババは、首はしっかりしてきても、今度は、足がふらついてくる。
しかも、大ババの足も、同時にふらついてきている。
ダンゴ状態になって、みんなで支えながら、前を向いて歩いていくしかない。
親に感謝、子に感謝、孫に感謝、
皆に感謝しないとわたしの、存在はない。