今日、一日休みを取って岐阜に住む兄に会ってきた。僅か2時間だけだったが、数年ぶりに合う兄は年よりずいぶん老けて見えた。苦労の連続。家族は病気に苦しんでいる。2時間が本当にあっという間に過ぎ、閉店時間だからと店から追い出されてしまい、それを機にお互いの健康や生活を案じながら別れてきた。もっともっといっぱい話したいこと、聞きたいことがあったのに、後ろ髪をひかれる思いであった。事情があって子どもの頃、一時別れて生活していた兄が、時折実家に帰ってきたものの、再びバスに乗って帰って行った後は、一人で部屋に閉じこもって泣いていたことを昨日のことのように思い出した。
「朝日新聞」で今日1月24日から「孤族の国」:第2部 家族代行 が始まった。記事を読んでみると、何と私が独身の頃住んでいた名古屋市緑区鳴子団地のことが載っていた。当時、自治会もなく、単身者から若い夫婦、数人の家族、高齢者など、様々な単位の人々が生活していたが、自治会がなかった。
当時、公団住宅の家賃値上げ反対運動が全国的に起こり、鳴子団地でも外からの支援を受けながら、有志で立ち上がり、これまで全く付き合いのなかった人たちで会をつくり、運動を始めた。その運動を通して、自治会組織作りの必要性を感じ、私たち共産党が中心となって自治会を立ち上げた。初代の自治会会長を元学校の先生にお願いし、私は事務局長を務めた。夏には盆踊りも長年にわたって続け、実に多くの人々とつながりを持つことができた。そんな中で団地の多くの方たちに参加をいただいた私たちの会費制結婚式へと展開していった。
朝日新聞の記事は、「無縁社会:無縁死、三万二千人の衝撃」(NHK「無縁社会プロジェクト」取材班(編著)<文芸春秋刊>の内容とほぼ同じもの。
失業、離婚、未婚、離別等々、様々な原因・理由があるものの、一人寂しく死んで行く人、生きていても周囲・親族との関係が断ち切れた孤独な生活を送っている人、人に迷惑をかけたくないと自ら一人の生活を選んでいる人、色々である。必ずしもそれらの人々は全てが「貧困」ではないが、それでもやはり、圧倒的には経済的貧困者である。
私の子どもの頃、田舎では近所の方が亡くなれば、墓掘り(今のように火葬ではなかったので、山の中腹にあるお墓では、石交じりの固い土を深く掘るのは並大抵ではなかった)、葬儀の準備や進行など全て近所の方が行ってくださった。そうやってお互いが助け合っていた。お互いが迷惑をかけ合い、しかし、それは決して「迷惑」ではなく、「当たり前のこと」であった。
かつて「当たり前」のことが、今は当たり前ではなくなってきている。できるだけ子どもや親戚には迷惑をかけないようにと「配慮」「気配り」し、また近所にも気遣いしないように、あまり関係を持たないようにと、疎遠な生活となってきているのではないか。
職場でも、かつてはほとんどが正社員で構成され、家族的な関係のなか、職場交流会や慰安旅行などが普通であった。今はどうだろうか?同じ職場でも、正社員、契約社員や期間工、派遣社員等々、効率と人件費削減を究極まで求め、人間関係が成り立たなくなってきている。
学校(小学校から大学まで)では、学力(人間が生きていくために、本当の学力かどうか?)をつけようとするが、人間として生きていくための哲学は身についてきているだろうか?
いまこそ、生活・労働、社会の在り方、国の在り方など、深く掘り下げ、具体的な手立てを急いで取っていかなければ、社会の崩壊となってしまう。
私も自らを人に迷惑をかけまいと孤立の道を作っているような思いがあります。人生の終焉近くを感じる時、そうせざるを得ない状況です。やたら老人ホームの広告が目に留まるこの頃です。
長谷川さんのこの文にはっとさせられ生きる活力を探して行きたいと気づきました。