長谷川よしきのブログ

格差社会を無くし、誰もが幸せを実感できる社会を目指して!
平和が一番! ともに力を合わせましょう!

無縁社会 若い世代でなぜ!?

2011年02月12日 | ブログ

 久々に早く帰宅すると、NHKテレビで「『無縁社会』の衝撃: 若者と働き盛りの叫び」と題して放映していた。終わりの20~30分ほどしか見ることができなかったが、NHK取材班による放送できなかった部分も含めての本を読んだことを思い出した。

 「何がおかしいのだろう?」「何かがおかしくなってきている」・・・あまりにも急激なこのような社会の変化は、どこからきているのだろうか?

 市会議員の仕事を通して、多くの相談事を受けている中で、自分のおかれた環境や生きていく上での基本を身につけたり、理解していればもう少し違った生き方があったのではと感ずることがある。この人たちも、実は無縁社会と隣り合わせである。

 年金をしっかりもらい、金銭的には心配がなくても、孤独な人もいる。しかし、多くは「人間らしい生活」(食べて働き、寝るだけでなく、自分の教養を高め、余暇を楽しみ他者との関わりで満足を得る、家族との喜びを共有できる時間を持てる等々)とは程遠い、生きるだけで精いっぱいの方々の問題をどのように解決していくのか、社会の問題として解決が急がれる。

 学校だけが「教育」ではないことは言を待たない。しかし、成長過程での学校教育は絶大なものであり、本来の学校教育がここ30年、40年なされてきているだろうか?

 点数で評価される、高等教育を受けることが目的とされ、何のために勉強するのかが忘れ去られ、生きる・働く・他者との協力・いたわり合うことなどの基本的で本来的な意味を「自ら気づく」教育がなされていないのではないか。一方的な「教え込み」「つめこみ」でなく、何のために勉強するのかを気づかせる働き掛けの教育がなされてこなかったのではないだろうか?

 教育委員会は教育行政として「上から」の一方的な押し付けで満足し、競争結果に左右されている。「現場の声」には一向に耳を傾けようとせず、質問する時間も与えず、「質問がなかった」「理解された」と勝手に「認識」して議会に報告している。これでは、本来の教育ができるはずもない!<どこの教育委員会だろうか?>

 こういった人たちが社会を構成し、再生産されてきた結果、「無縁社会」「孤独」の原因が分からず、解決方法が見いだせないでいるのではないだろうか?

 今に限らず、「自分さえよければ」の経済(使い道に困る、だぶついた内部留保が積み上げられる一方で、不安定な身分のまま超低賃金で働かせ<下請け企業へは発注単価を一方的にたたく>新自由主義が益々広がってきている)、人々の声が遠ざけられた政治(自由のない選挙制度、小さな声が届かない小選挙区制度、本質を掘り下げないで帰って真実から遠ざける役割を果たしているマスコミ等々)、大きな社会に押しつぶされ、見て見ぬ振りされ、「一緒に生きていこう」と声掛けされない。

 閉塞感が危険な方向へ向いてきている。民主主義に名を借りた「憂さ晴らし政治」に新鮮味を見いだし、共感が寄せられる。もう一度しっかり本質を観る力を持とう!