あの東日本大震災から3年が経った。今朝、山形はピークを過ぎた寒波の名残で雪が降っている。三年前のあの日は、春らしい陽のある日であった。ここに、2枚の朝日新聞の号外がある一枚は東京本社発行のもの、もう一枚は大阪本社発行のものである。東京本社のものは、大見出しが白抜きで「東日本大地震」そしてサブ見出しは「宮城震度7大津波と」となっている。大阪本社の号外に、「福島原発、冷却停止か」と小見出しが立っている。この地震のマグニチュードは8.4と推定とあるが、後に9.0に修正された。関東大震災の45倍、阪神大震災の約1450倍との記載がある。
3年経った今日の新聞には、被害状況が書いてある。死者15,884人、行方不明者2,633人、避難者数267,419人(この数は前年比-47,777)。仮設住宅入居戸数104,050戸。この数を見ただけで、その被害の規模、そして災害がなお進行中であることがわかる。この大震災にどれほど多くの人がボランティアとして被災地に駆けつけ、瓦礫の片付けや炊き出しに力を尽くしたことか。ただ頭が下がる。それに引き換え、被災地近くに住みながら、なにもできずにいる自分の無力さに心が萎える。
首都圏や南海トラフの地震が起きた際の災害のシュミレーションも相次いで発表されている。地震の破壊力の大きさに比べて、人間の力がいかに小さいものであるかが、いやというほど明示されている。この地震列島に長く住み続けてきた先人たちへ、あらためて尊敬の心を持ち、これから生きていく次世代にどんなバトンを渡せるか。残された生の意味が問われる。
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