常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

香川景樹

2014年03月27日 | 


京都の歌壇を風靡した歌人、香川景樹が没したのは天保14年3月28日のことである。享年76歳、歌人としてまた門下の指導者としても高名であった。

大井川かへらぬ水に蔭見えてことしも咲ける山桜かな 香川 景樹

この歌人の名を知ったのは、詩吟、和歌の部の課題にその名があったからである。山形岳風会に入る前の詩吟の会で、優秀吟に挑戦したことがあった。そのとき、和歌の部に出た伊藤さんという先輩が、香川景樹の和歌を選んだ。

ひとかたに靡きそろひて花すすき風吹く時ぞみだれざりける

枯尾花を花すすきと表現していることが新鮮に感じられ、たちまちこの歌人が好きになった。京都に住んでいた景樹は、かの頼山陽と親しく交際していた。山陽は漢詩にも和歌に手腕を発揮したが、母と旅したことを和歌に詠んだ。


母も子も老いの波よる滋賀の山三たび越えけることぞうれしき 頼山陽

これを見た景樹は、滋賀の山以下はいいが、「親も子も老いの波よる」では、田舎の皺だらけの親子が、腰をかがめて風采のあがらぬ様だ。「たらちねの母とうちつれ」としたら、美しい母とその子の颯爽とした山陽になる、と指摘した。この直言は、山陽の気に入らなかったらしい。山陽は、「香川の談論風発には、内心いやがっている向きも多い」ともらしている。

号桂園。父は鳥取藩士。真淵の万葉主義を批判、古今集の調べを尊重し自然の感情を流麗な調べで詠むべきだとして桂園派を創始。岳風会の『吟詠教本』には、香川景樹をこんな短文で紹介している。

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2 コメント

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Unknown (ゴッドばあさん)
2014-03-27 16:43:19
詩吟を習っていられます。
発表会で聞いたことが有りますが、
肺活量運動ですね。(なんと云えばいいのかな)
高貴な習いもののひとつです。
Unknown (miki701_1941)
2014-03-27 21:23:56
そんな高貴などというものではありません。
しかし、発声法はいいと思います。人間の洗練さらた声。
それが詩吟です。

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