今に伝わる「富嶽百景」は北斎、73歳でなした画業である。90歳で没するまで、引っ越しを93回、画号を30回変えた。世に歌麿あり、豊国の名声は響き渡っていた。北斎の名は必ずしも高くはなく、瀧澤馬琴の読み本の挿絵画家を世過ぎの糧としていた。93回もの引っ越しは、年に1回は屋移りをしていた勘定になる。絶えざる自己否定、自己変革がこの人の精神生活でもあった。73歳にして辿り着いた画境が「富嶽三十六景」であった。
一百歳にして正に神妙ならんか、百有十歳にして一点一格にして生くるが如くならん
75歳の時、北斎は絵本「富嶽百景」を出版したが、その序文にある言葉である。そこで述べたのは、この絵の到達点に満足せず、80歳、90歳と進歩を続け、百歳にして神品を、百十歳で生きるが如き絵を描くという気概を示したものだ。八十歳を過ぎた最晩年は江戸を住み捨てて信州に移り、版画家、浮世絵師を捨て去り、極彩色の花鳥画や人物画を描いでいる。
北斎の生きざまを見ると、人間の心は独楽のような存在であることに気づく。安定して生き続けるためにには絶えざる回転が必要になる。老人になってその回転を止めたとき、人の生はそこで止まる。宇宙においても、原始のミクロの世界から大星雲に至るまで回転することで、自然の秩序を保っている。