常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

知人の句

2022年01月28日 | 日記
ずぼと落ちまたずっぽりと雪菜掘る 義彦

七日町の飲み屋街に「炊き」という居酒屋がある。勤め帰りのサラリーマンが帰りのバスを待つひととき立ち寄る店である。ビールと日本酒、店主が手作りしてくれるおつまみで飲んで千円にお釣りが来た。ここの常連で通常「よっちゃん」。元市長の息子さんで、地元放送局の重役でもあった。気さくな人で、カウンターの席が隣になると、色んな蘊蓄を傾けてくれた。「方言には、昔の言葉があるねえ。とぜん、と言うのは置賜の方言だけど、あの徒然。ひまだなあという意味だよ」。そのよっちゃんがある日、サインを入れて、小さな句集を贈ってくれた。この居酒屋の小上がりで開く句会がある。名付けて「えんじ句会」。詠み込むうちに円熟するだろうとつけた句会の名だ。

句集を開くと懐かしい名が並んでいる。井上弘、笹沢信、為本茜、松坂俊夫。居酒屋で開く句会にしては錚々たるメンバーである。その面々の顔を思い出しながら句集を読むと、あの人がこんな句を、という思いに驚き、妙に句に愛着を覚える。

小林秀雄の対談集を読んでいると、知人の句集の序文を頼まれた話が出てくる。その知人は骨董商で、小林が欲しかった徳利をなかなか売ってくれない。この店に行くようになって28年、店で酒を酌み交わすなかになった。知人が俳句を詠んでいるなどとは、小林はつゆ知らず。突然の死で、その息子が句を書いたノートを手に句集にして欲しいと依頼してきた。実は生前その店で知人と飲んでいて、小林は酔った勢いで欲しかった徳利をポケットに入れて、お前が危篤になったとき返すと言ってなかば強奪したかたちになった。ノートには小林秀雄にと詞書を入れ、「毒舌をさかわらず聞く老いの春」という句がある。その徳利を強奪したときのことが句になっていた。小林とても面白いと感じた。詠む人や、詠んだ状況を知ることで、俳句は俄然面白い読み物になる。

芭蕉にも名句というものがあるが、そばで生身の芭蕉に接した俳人たちには、芭蕉の句はたまらなく面白かったに違いない。生身でやりとりのない句は名句といわれてもおのずと受け取り方は違う。そんなことを、この対談で小林が語っている。居酒屋の片隅で詠んだ句に愛着を感じるのは、小林の言うような事情があってのことであろう。

コメント
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