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アラフは扇動者、教育を知らない

理想社会について

2010-07-13 15:07:14 | Weblog
前文を
書くか書かぬか
ひとひねり
またそのうちに
書くかもしれぬ

つまりここに、パッケージと技能という二つの要素を見るわけだ。
いわゆる業者の利権が包装紙の部分、そこがいったん出来上がってしまえば
当分の間はそれだけでも商売が成り立つ。
中がスカスカでも雰囲気だけで売れ購入者は気付かない、
そういうビジネスモデル。

イースター島で皆既日食だそうな。
NHKでモアイと空を映していた。

アニメ音楽を多数まとめたCDを聞いたのだが、アレンジが似たり寄ったりで
すぐ飽きた。
リズムが単調で冒頭のところを聞いただけで「はい同じー」と感じてしまう。
そうすると今度はクラシックの偉大さが判ったーみたいな気になったり。
バイオリンのソロなんかもっさり感無いし。

さて理想社会について。
一年中バナナがなり魚が取れ、気候は暖かく建材の心配も無く戦争も無く、
災害には避難所があり人口の過密化は無い、そんな社会を前に考えてみたが
結局人が偏ると不満が出るという結論に至った。

適度に偏らなければ理想社会のままかというと、
まあある程度はそうかもしれない、となる。
ではその社会に住みたいかと問われても、あまり心が動かない。
毎日三食バナナばかり、というのは食べる楽しみに欠けるように思える。
ではどうすると食のバリエーションが増えるだろうかだが、
果実の種類を多くして肉になる動物がそれなりにいればいい、という結論でも
まあいいが小さい社会に多くの森、というのは不自然に思える。
とは言っても大きい社会だと人と人との軋轢が多くなりそれはそれで
不自由が少なく対立が無いという理想から離れそうな。
そこでその社会に交易相手となる社会が一つある、と仮定し考えを進めてみる。

バナナで食が困らない社会からそれほど近くは無い距離に
小麦と葡萄が耕作され牧畜がある、そこそこの大きさの社会があったとする。
小社会、まあバナナ村とでもするか、は魚の干物と貝細工を輸出し中社会、
小麦市とでもするか、から小麦粉、干し葡萄、チーズなどを輸入すると。

どのような問題が起こるだろうかと考える。
バナナ村では小麦粉も干し葡萄もチーズも高級品で、
なにか記念の日に食べる物とされると。
どうやら良心的な業者が細々と交易を続けるだけなら問題が無さそうだ
という結論になった。

だが交易の主導権は市の方にあるわけだ。
悪質な業者が来たら何をするだろうか。
業者の活動範囲は交易だけと限定して考えるにしても、
相場操作と乱獲の勧めくらいはしてきそうだ。
それだけなら村の方で窓口を一箇所だけに制限する事で対処可能と見る。
では市の方で独自に漁船を繰り出し乱獲を始めたら対処できるか。
海洋資源管理問題。
これは戦争の一歩手前、村の側単独での対処は不可能に近いか。
交易は大きい側、主導権を持つ側にルールを守らせる装置が無いと
良い状況は終わりを告げる、という結果になりそうな。

では人の移動はどうか。
都会に行きたい、という人は出てくるだろう。
若い人なら一定の割合で居て当然か。
蓄えを持って市に出る。
持って行った蓄えを経験に交換して帰ってくる。
帰ってきたその人はちょっとハイカラになってたりするが、
市に住もうという考えは無くなっていると。
これなら問題無し。
では人買いにそそのかされて行ったような場合はどうなるか。
周囲の人が止めるのを大口を叩いて振り切った気まずさからか、
あるいは借金や悪い遊びに足を取られて帰って来れなくなると。
単独ならそいつが馬鹿だったで話は終わりだが
人買いまがいの労働斡旋が利権化していくと歪みが積もっていきそうな。
こちらもやはり主導権を持つ側がルールを持つか、あるいは移民しても
そうは成功しないといった情報開示が必要か。

さて問題だ。
一本しかない交易ルートの交換相場は
どうやって決まるのだろうか。
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