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アラフは扇動者、教育を知らない

「ずーっといなかに居る人間は駄目だ」という主張を見た

2013-07-12 15:04:02 | Weblog
表題の主張、なんとなく判る気がする。 気がするのだがそれが「これ」と言った
形にならない。 元の主張、「やっぱり田舎の方が良かった」はありだとしていた
ので田舎での生活そのものを否定しているわけではない模様、おそらく田舎にあり
がちな、他では通用しそうにない駄目人間の多くが外で経験を積む事を始めから
拒否しているような、そんな話なのだと思う。 なあなあ的で刹那的、どことなく
他人がする事を馬鹿にしているような態度で気分次第で当たり前に嫌がらせや足
引張りをする、そんな人を想定。 これが「人としておかしい」というものを
マナー的主張とモラル的主張とに分けて見てみると。
書いて、みてなるほど、と思った。 「なあなあ的」と「気分次第の足引っ張り」
がそのまま田舎的排他性になりそうだ。 新規の変化に対し村人の多数が「嫌」と
なったとしようその場合それがなあなあ的に村の空気となり「険」となる。 気分
次第の嫌がらせをしてはいけないというルールは村には無くよって新規の側は村人
の多くから「険」を受ける事となると。 逆にこれ多数が「好」となると小数の
「嫌」となった人は「偏屈」とされ、彼らからの嫌がらせはやっぱり有るが、その
変化の主張者からは村自体はリベラルだとの評価を受けると。 こうして見ると
この構図って「芸能界の掟」や「労働組合の空気」などと同じ物なのではないかと
いった結論が浮かんでくる。 なるほど都市部には田舎を邪としたい人が多く彼ら
がそれを田舎特有の現象だとしている、そうする事も可能か。
さてマナー主張とモラル主張だ。 ここで挙げた構図を新規変化の側視点で書くと
「自身がもたらした変化に対し村人が好きと嫌いとに分かれる」で「嫌いの側が
各種嫌がらせをしてくる」の二段階になっている、となる。 「自身の変化に対し
村人は好意的に接しなければならない」とするのはマナー論だな。 リベラル主張
などが伴う事も多いと思われるがそんなもの各人の勝手、つまりこれはゴミ。
モラル論的に問題視するのは「嫌がらせ足引っ張りが当然」とするもの。 これは
田舎だけではなくリベラルメディアの行動にも共通しているがまあここではそこに
は踏み込まない。 何故田舎では「嫌がらせが当然」となっているのか。 多分だ
が、人間関係、特に内的なそれが善だとされているからだと見る。 「善である」
からモラル上マイナス、無い方無くす方が良いものまで肯定されてしまっている、
そうなってしまっているのだと。
さてどういう人がモラルよりも内的人間関係を是とするのか。 癒着的な人だろう
と見る。 田舎に生まれてそこに癒着関係を見出せばもう都会に出る理由は無い、
そういう話なのかもしれない。 都会で癒着関係を見出そうとすると労組や新興
宗教あるいは各種政治圧力団体の思想的運動となるのかもしれない。
モラルとは何か。 他人の生存条件の優先である。 生イコール食が転じて生産性
の優先となったりもする。 癒着的な人にはこれが無いらしい、当面の雰囲気的
癒着性が優先される一方で生きられるかどうかは考慮されない。 本能的好嫌だけ
でも死なないじゃんみたいなライフスタイル。 人はそれを田舎と、それこそが
田舎なのだと言うが、はてさて。
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