ネットの動画を思い出す。
著作権上問題のあるものが少なくなかったはず。
そしてどこからが違法行為なのかは視聴者には判らない。
著作権法とその告示の見直しをするべきだという趣旨の発言をしたところで
既得権を温存する形にしかまとまらないだろう。
なんせ現状、宣伝として役に立つなら可なんてルールまである始末。
直線を引き、食を右に、金を左に置く。
右にあって右を向いている人が農家のままで良いという農家。
右にあって左を向いているのが都会に行きたがる農村出身者。
左にあって左を向いている人からすると、右にあって左を向いている人が
農家の代表例となるのだろう。
レッドネックと言うのは左に居る人だろうか、左に行く人だろうか。
人が死ぬのにかかる時間はどのくらいか。
窒息なら10分、失血なら数十分、凍死なら数時間、脱水症状なら1日、
餓死なら10日から数週間、病死ならものにもよるが数ヶ月か。
地図を見るに国家の大きさというものは中央から陸で500kmというのが多い。
陸運の速度が徒歩と同程度だったとするとこれは中央が地方の
飢饉や疫病に一応は対応することが可能な距離のはず。
これ以上となると援助を送っても間に合わないつまり助け合う意味がない
距離になってくる。 どの程度助け合いがあったかどうかはさておき。
公益ってなんなんだ、と考えてみる。
以前救急車が判りやすいと書いたが、救急車だけが公益なわけではない。
この例で言うなら親を大事にしろと教える事は公益認識につながるわけだ。
それをするべきなのは小さい子供に対してだろうけれども。
お店がそれだとしてみよう。
お店が有ると物が買える。 お店が無いと物が買えない。
お店が有っても客が居ないといった状況は公益が無いことになる。
高級品店と薄利多売の店、売り上げが同じなら後者の方が公益が多い
ということになるがここではその差には踏み込まない。
労働者と資本家の対立を固定的に見ることが正しいとする勢力もあるが
私はそれと距離を置く。
忙しいだけの人ではなく多くの働きをする人が金持ちになる。
それはそれで一先ず置いておく。
お店がある。
これが客となる人たちの共益であり、隣人同士で共益を認め合うのが公益。
お店を公益だとする。 この場合公益に反する行動とはどのようなものか。
万引きや強盗。 お店の存続を脅かす。
営業妨害や交通渋滞。 他の利用客の妨げになる。
地主や各種圧力団体による出店妨害。 お店が出来ない。
消費者活動を通して個々人が共益を受け取る機会は人口密度に比例する事になる。
人が多い方が近くに欲しい物が売られているという状況が出現しやすい。
それと同時に他人の共益に接する機会も増え、さらには自分の共益が
他人に妨害される例を見る機会も増える。
自他の共益に公益を見るか、あるいは自分の被害だけを見るか。
売り上げが同じならどの店も等価ということになる。 経済的には。
では麻薬を売る店は公益か。
これは微妙な問題ではあるが、店が存在すること自体は公益だ。
ではその店を利用する客の行動は公益に反するか。
高い確率でそうなるだろう。
もちろん、その店で麻薬を買う客すべてがそれを使わずに眺めているだけ
ならば公益には反さない。
利用客の非行をどの程度お店や業界の非とするか。
これはどの程度迷惑の発生が必然かにもよるが、
最終的には行政府や裁判所などの判断に任せる他無し。
店への対応が誤りだするならそれは、その判断は公益に反する、となるわけだ。
著作権上問題のあるものが少なくなかったはず。
そしてどこからが違法行為なのかは視聴者には判らない。
著作権法とその告示の見直しをするべきだという趣旨の発言をしたところで
既得権を温存する形にしかまとまらないだろう。
なんせ現状、宣伝として役に立つなら可なんてルールまである始末。
直線を引き、食を右に、金を左に置く。
右にあって右を向いている人が農家のままで良いという農家。
右にあって左を向いているのが都会に行きたがる農村出身者。
左にあって左を向いている人からすると、右にあって左を向いている人が
農家の代表例となるのだろう。
レッドネックと言うのは左に居る人だろうか、左に行く人だろうか。
人が死ぬのにかかる時間はどのくらいか。
窒息なら10分、失血なら数十分、凍死なら数時間、脱水症状なら1日、
餓死なら10日から数週間、病死ならものにもよるが数ヶ月か。
地図を見るに国家の大きさというものは中央から陸で500kmというのが多い。
陸運の速度が徒歩と同程度だったとするとこれは中央が地方の
飢饉や疫病に一応は対応することが可能な距離のはず。
これ以上となると援助を送っても間に合わないつまり助け合う意味がない
距離になってくる。 どの程度助け合いがあったかどうかはさておき。
公益ってなんなんだ、と考えてみる。
以前救急車が判りやすいと書いたが、救急車だけが公益なわけではない。
この例で言うなら親を大事にしろと教える事は公益認識につながるわけだ。
それをするべきなのは小さい子供に対してだろうけれども。
お店がそれだとしてみよう。
お店が有ると物が買える。 お店が無いと物が買えない。
お店が有っても客が居ないといった状況は公益が無いことになる。
高級品店と薄利多売の店、売り上げが同じなら後者の方が公益が多い
ということになるがここではその差には踏み込まない。
労働者と資本家の対立を固定的に見ることが正しいとする勢力もあるが
私はそれと距離を置く。
忙しいだけの人ではなく多くの働きをする人が金持ちになる。
それはそれで一先ず置いておく。
お店がある。
これが客となる人たちの共益であり、隣人同士で共益を認め合うのが公益。
お店を公益だとする。 この場合公益に反する行動とはどのようなものか。
万引きや強盗。 お店の存続を脅かす。
営業妨害や交通渋滞。 他の利用客の妨げになる。
地主や各種圧力団体による出店妨害。 お店が出来ない。
消費者活動を通して個々人が共益を受け取る機会は人口密度に比例する事になる。
人が多い方が近くに欲しい物が売られているという状況が出現しやすい。
それと同時に他人の共益に接する機会も増え、さらには自分の共益が
他人に妨害される例を見る機会も増える。
自他の共益に公益を見るか、あるいは自分の被害だけを見るか。
売り上げが同じならどの店も等価ということになる。 経済的には。
では麻薬を売る店は公益か。
これは微妙な問題ではあるが、店が存在すること自体は公益だ。
ではその店を利用する客の行動は公益に反するか。
高い確率でそうなるだろう。
もちろん、その店で麻薬を買う客すべてがそれを使わずに眺めているだけ
ならば公益には反さない。
利用客の非行をどの程度お店や業界の非とするか。
これはどの程度迷惑の発生が必然かにもよるが、
最終的には行政府や裁判所などの判断に任せる他無し。
店への対応が誤りだするならそれは、その判断は公益に反する、となるわけだ。