大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

小田原根府川駅周辺

2021-07-22 | 小田原

JR東海道線小田原駅の二つ先に根府川駅がある。この根府川駅は昭和60年代、オレンジ輸入自由化により根府川地区はみかん園の転換跡地利用方策により福祉施設が建設され、いくつかの遍歴のあとリゾート施設となった。根府川駅より無料シャトルバスが運行するようになり、乗降客数も少しは増加したと思われるが、現在でもJR東日本東海道線区間の唯一の無人駅で乗車人員は非公表の珍しい駅となっている。大正12年(1923)、関東大震災による大規模な地すべりが発生、8両編成の6両が駅舎、ホーム共に海中に没した。改札横に、関東大震災殉難碑、寺山神社に大震災耕地復舊記念碑、岩泉寺に大震災殃死者供養塔がある。


この地区に植えられた、カンヒザクラとマメザクラを交配させて誕生した早咲きの桜「おかめ桜」が有名で、花が下を向いて咲くのが特徴で色が濃くて華やかさがある。京都の大報恩寺(千本釈迦堂)の阿亀桜とは別種だそうです。根府川(ねぶかわ)の地名は古く、一説によると広井を氏とする家系に上総介平良兼五代の孫、広井太郎致房の次子重房、その次子太郎重門、始めて当所に住まい、根府川太郎と称したという。その後、広井を氏とし北條氏に仕え、天正十八年(1590)小田原落去のあと民間に下り、慶長九年(1604)頃より江戸城普請の採石御用を務め、代々採石の御用を務めている。この地区で産出する根府川石、荻野尾石は小松石と同じ箱根外輪山の中腹部より噴出した溶岩が主成分のため採掘者でもなければ区別するのは不可能に近い。
根府川駅から根府川郵便局の前の坂道を150m程歩くと根府川公民館の入口がある。この公民館の駐車場の片隅に木食観正碑と小祠があった。


県道740号小田原湯河原線を挟んで旧村の鎮守、寺山神社がある。新編相模風土記稿では「寺山権現社祭神詳ならず」とあったが、境内の案内板に「神社の草創は不明であり、古くは寺山権現と言われていたが明治初年寺山神社と改称した。祭神は武甕槌命(たけみかずちのみこと)であり、浅間神社、山神社の二社を鎮座している」とあったが、境内社の看板は天三社と姥社となっていた。


本社横に明治十二年建立の月日・三猿の庚申塔(石祠)と小田原市指定重要文化財に指定された丸彫単座像合掌型二基と彫単座像合掌型の一基の道祖神が祀られている。

境内に浅間大神塔、地鎮神塔があった。

元帥公爵山縣有朋書「日露戦役」彰忠碑

名号塔のある岩泉寺に向かう。

岩泉寺の大震災殃死者供養塔
大正十二年九月一日午前十一時五十八分俄然
大震災アリ同時二山津波起リ老若男女二百餘
人殃死セリ甚夕悲惨ノ至リニ堪ヘス茲二遺族
一同共ニ丹悃ヲ協セ殃死者菩提ノ為大供養塔
ヲ建立シ以テ永ク精霊ヲ祭ル者也
大正十四年八月十二日   
     遺族一同建之  
         海蔵實英書

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