大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

豊受大神宮(外宮)から皇大神宮(内宮)

2012-07-17 | 

名古屋から外宮の最寄り駅は伊勢市駅、大体の観光客はここで降りる。伊勢市駅にロッカーがないと思い込んでいたので、宇治山田駅にあるロッカーに荷物を預けて外宮にむかった。(実際はJR伊勢市駅側にロッカー設置がありました)。
外宮は天照大神のお食事を司る神の豊受大神をおまつりしていて、内宮創建から500年後に山田原に迎えられ、衣食住をはじめあらゆる産業の守り神だという。外宮の参道に着いてあまり参拝客がいないので、なにかホッとする。
  
表参道火除橋を渡って、手水舎から鳥居を潜ると神楽殿に直ぐ着く。
 
五丈殿、九丈殿の先に正宮があります。
 
 
 
外宮のパワースポットだという鎮地祭や御装束神宝・奉仕員の祓えなどを行う「川原祓所」の目印の「三ツ石」といわれる、変わった石と大きな石だと思って渡った石橋が亀石で、まったく気が付かなかった。まったくパワーを感じることなく、この先の風宮、多賀宮、大土乃御祖神をまつる別宮の土宮にお参りしてから内宮に向かう。
 
  
外宮・内宮間のバスは本数も多い。内宮に近づくにつれ、渋滞が酷くなり、観光客と云うか参拝客の多さにビックリする。
 
宇治橋から鳥居を潜り、五十鈴川御手洗場に寄って風日祈宮から正宮にいく。
 
 
 
神宮司庁広報室の案内にお参りの作法は二拝二拍手一拝とあった。専門職の神職と一般参詣者と拍手の数が異なるのが面白い。魏志倭人伝に「見大人所敬但搏手以當跪拝」とある。大人は敬うのに、ひざまずいて礼拝するかわりに、手を打つとある。そうすると中国には拍手の習慣はなかったのだろうか。明治八年、式部寮から施行された「神社祭式」には再拝拍手とあり、拍手の作法には回数の記載はない。この「神社祭式」はなんだかんだあって、ようやく戦後、決められた「神社祭式行事作法」により二拝二拍手一拝に落着いたという。なにか回数はバランスで決められたような気がしてきた。各所にある神宮の祝詞奏上やその神社の祭祀であれば、その神社の縁起に基づいていくら拍手しても構わないのですが、我ら一般庶民の標準作法は二拝二拍手一拝となっている。2回の拝と2回の拍手と、さらに1回の拝となった根拠は昔から大体、こんなものだという以外なにもないのでは。だから明治に成ってから神社祭式を式部寮達として整備していかなければ成らなかったと思う。神との取次は神主や巫女の仕事ならば、一般庶民の願い事は直接、神に届いているのだろうか。

(荒祭宮)
   
正宮・荒祭宮から宇治橋鎮守神である饗土橋姫神社のお札「萬度麻」が納められている擬宝珠をしっかりみてから神宮まえのおかげ横丁で食事をと思ったが、物凄い人の波に恐れをなして、早々に退散してタクシーの運転手さん一押しの月読宮に向かう。
 
 
月読とは「月を数える」ことから農業の神様としても祀られているが、アマテラスとスサノオという異なる性格の神の間に何もしない神を置いてバランスをとったという話の方が何となく好きだ。ここから五十鈴川駅まで歩いて戻り、伊勢市駅に向かう。
 
ここには同じ呼び名の月夜見宮に参拝する。同じ神様を祀っていて表記が異なるのはなぜなのだろう。五百年前に建立された内宮月読宮に気を使ったということか。
 
荷物を取りに伊勢市駅から宇治山田駅に戻り京都に向かう。
 

伊勢神宮への路

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