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リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

共感できるカナ

2011-03-06 12:03:04 | オヤジの日記
中学3年の娘が言うには、クラスの子のほとんどがEXILEを気に入っていると言う。

「だから、肩身が狭くてさ」と言っている。

そして、こうも言うのだ。

「共感できる」のは、西野カナ。
「カッコイイ」のが、EXILE。
「カワイイ」のが、楽しんご。

これが、絶対多数らしいのだ。

「俺さあ、完全に少数派だよ」
娘が、ため息をつく。

娘に言わせると、「西野カナに共感できるほど、中学生は恋愛経験を積んでいるのか」。
EXILEは、テレビで見慣れているタレントだから「カッコイイ」と思うが、あんなのと道ですれ違ったら、普通だったら、確実に避ける。
楽しんごは、半年間限定の旬の「カワイイ」タレントで、半年たったら、確実に誰かにその座を取って代わられる。

楽しんごは、楽しいか、と言われたら、楽しくないし、面白くもないと答える。
「カワイイ」かは、その人の感性次第。
目新しいものは、何でも「カワイイ」と表現される。

「ギター侍」以来、面白い流行に関しては懐疑的である。
海パンで「そんなの関係ねえ」って言われても、どこが面白いのか。
レッドカーペットに乗って、早口で意味不明のことを言われても、どこで笑えばいいのか(番組はもう終わったらしいが)。
「すべらない話」を2分聞いただけで、心がすべりそうになって、テレビを消す。
そんな繰り返しである。

かといって「笑点」などを見ても、どこで笑えばいいのか、よくわからない。

娘などは、一度番組を見て「老人ホームを映して、何が面白いんだ」とすぐに席を立った。
私もほぼ同意見だ。

共感できるツボが、極端に狭い親子。
「カッコイイ」がわからない親子。
「カワイイ」と言われて、「ただ新しいだけだろ。すぐに飽きるよ」という親子。

こんな親子に、共感できる人は、いませんよね。




ユンナ/ユナ

2011-03-05 13:54:47 | オヤジの日記
ユンナ、という歌手がいたのを知っている方は、少ないと思う。

おそらく韓国人。
韓国では、ユナで通っているかもしれない。

日本で何年か前に「ほうき星」というのが、少しヒットした。
それから、「タッチ」をカバーして、これもそこそこヒットした。

しかし、それから日本での活動が途絶えた(ような気がする)。

日本で何歳でデビューして、彼女がいま何歳なのか、私はまったく知らない。
ウキペディアあたりで調べればわかるのだろうが、調べるのが面倒くさい。

ただ、いい歌手になったということだけは、わかる。

日本にいた頃は、きっと物理的な年も気持ちも若かったのだろう。
自己プロデュース力もなかっただろうし、レコード会社のプロデューサーも彼女の良さを取り出そうという気もなかったのかもしれない。

そこそこ売れて、そこそこ知られたら「もうけもん」。
そんなスタンスで、流れ作業のように扱われたのかもしれない。

フェイドアウトするように日本での活動が終わり、韓国でデビュー。

そのユナが、いま韓国で活動している。

ヒットしているかどうかは知らないが、韓国のCS放送で見る限り私には日本で歌っていた頃より輝いているような気がする。

ロックテイストの曲やバラード、ポップな曲を達者にこなして、表情も生き生きしている。

歌う姿を見て、惹き付けられた。

そのときは、バラードを歌っていた。
バラード嫌いの私であるが、歌詞はまったくわからないなりに、歌声の深み、その表情に、魅せられたと言っていい。

ああ、この人は、プロの歌手になったんだ。
そう思った。

おそらく、彼女の才能は、韓国でいま開花したと思う。

彼女が、韓国でどの立ち居地にいて、ヒットしているかは知らない。
しかし、私は、間違いなく惹き付けられた。


ユナは、いいと思う。


誰もが、レディー・ガガや安室奈美恵、BoAになる必要はない。

しかし、それ以下である必要もない。


ユナは、そんな彼女たちに負けていないと思う。


私は、そう思う。




苦手鍋

2011-03-04 07:58:37 | オヤジの日記
昨日は、雛祭り。

昨年の7月から我が家に居候をしている中学3年の娘のお友だちが、3月1日、都立高校の一般入試に合格した。
これで、晴れて4月から娘と同じ高校に通える。

めでたい!

ということで、雛祭りと娘たちの合格祝いを兼ねた晩メシを作ることにした。
スーパーなどでは、雛祭りと言えば「チラシ寿司」という風潮がある。
それは、チラシ寿司の華やかな彩から連想したものだろうと思われる。

しかし、我が家では雛祭りと言えば、伝統の「苦手鍋」。


ん? 苦手鍋? なんじゃ、そりゃ?


これは、おそらく世界中で「Mサンち」しかやっていない風習だろう。
だから、自慢できる。

出汁は、日高昆布と鰹節、煮干で作る。
1リットル分の出汁を作ったら、カセットコンロの上に、直径40センチの土鍋を乗せ、出汁を入れる。
そして、日本酒を300cc投入。
沸騰させる。

火を止めて少し冷ましたあとで、水を500cc追加。
火をつけて、短冊切りにした大根、人参を入れる。
他に椎茸、豆腐、白菜の硬い部分を入れて煮る。
10分程度煮込んだら、白菜の葉の部分を入れる。

次に、各自の嫌いな食材を入れていく。
だから、苦手鍋。

たとえば、息子は春菊が嫌いだから、春菊を入れる。
娘は、エノキ。
娘のお友だちは、マグロが嫌いだから、マグロを入れる。
ヨメは、里芋。
私は、コンニャク。

その後、中力粉で作った、手打ちの太っといウドンを投入。
最後に、濃口の醤油とみりん、おろし生姜、ニンニクのみじん切りで作ったタレを回しかけ、10分ほど煮込む。

あとは、安い豚のしゃぶしゃぶ肉5人前を皆で、シャブシャブする。

そして、締めは苦手の食い物を克服するという儀式。

ただ、苦手なものを食うだけでは、楽しみがない。

苦手を楽しく克服するために、ご褒美を用意するのである。

封筒が5つ。
表には数字が1から5まで書いてある。

中の4つには、千円札が1枚ずつ入っている。
残りの一つの封筒には、千円札6枚が入っている。

つまり、5人のうちの一人だけが「6千円長者」になれるのだ。

苦手を早く克服した順番に、数字の書かれた封筒をランダムに引いていく。
ただ、どの封筒に6千円が入っているかは、わからない。
千円札1枚の封筒にもダミーの紙が入っているから、手触りで判断できないようになっているのだ。

今回、真っ先に苦手を克服したのは、コンニャクを食うと失神する特技を持つ私だった。
のどに詰まりそうになって、失神しそうになった。
その次が息子。そして、ヨメ、娘、居候の順番。

居候は涙目になって、マグロを長い間、頬っぺたに含ませていたため、頬がハムスター状態になっていた。
20分近く、ハムスターだった。

皆が食い終わって、一斉に封筒を開ける。

6千円を手にするのは、誰か!?

・・・・・・・今回は、ヨメだった。

勝者は、ヨメ。

ヨメが、ガハハハハ、と笑った。
6枚の千円札を手にしたヨメは、誇らしげだ。


しかし、この「苦手鍋」は、ここで終わるわけではない。

勝者が勝ち誇った顔で立ち上がり、他の4人を呼び捨てにしながら、千円札を一枚ずつ分け与えるのである。
そのとき、勝者は、相手を呼び捨てにしながら、日ごろ言えないことを言う権利がある。

たとえば今回、勝者であるヨメは、私に向かってこう言った。

「サトルよ。もっと自分の体を労われ。休むことも仕事だと考えよ。この、愚か者が!」

ははー!(ひれ伏して、千円札をいただく)

勝者は、他の者にも有り難いお言葉を投げ与え、神のような慈悲を持って、千円札を分け与えた。

その結果、誰もが等しく2千円のご褒美を得て、みなの晴れやかな笑顔が座に満ちたところで、この「苦手鍋」の幕は閉じる。

めでたし、めでたし!

何と心温まる儀式であろうか。


だが、そんなめでたい空気が座に溢れていたとき、この儀式に始めて参加した居候が、娘に向かって言った。

「なあ、おまえんちって、毎年こんなことやってるのか! 誰だよ、こんなバカなこと考えたの」


その言葉を受けて、瞬速で、ヨメ、息子、娘の視線が、私に集中した。


・・・・・・・・・・(冷たい視線)。


やはり、俺は、バカだったのか・・・・・(泣)。





つまらない番組

2011-03-03 07:20:34 | オヤジの日記
テレビ番組は、ほとんど見ないので語る資格はないかもしれないが、何となく語りたくなったので。

日本テレビで「世界丸見えナントカ」というのをやっていたと思う(おそらく今もやっている?)。

息子が好きだったので、何度か見たことがある。

息子は、面白い、と言って見ていた。
それが、15年くらい前のことだ。

だけどね、と父である私が言う。

これって、ただ海外の面白テレビやビデオをただ放映しているだけだよね。
番組制作者が一所懸命探してきた面白ビデオを出演者はただ眺めてコメントするだけだよね。

これは、大変なのはスタッフだけで、タレントたちは少しも大変じゃないよね。
ただ、つまらないご意見をいって、時間を埋めているだけじゃないかね。

もしかしたら、そのコメントも「放送作家」さんが書いたものを読んでいるだけかもしれない。
そうだとしたら、お手軽すぎて、視聴者を馬鹿にしていないかい?

というように、息子を洗脳して、我が家は「世界丸見え~」を見るのをやめた。

その後「世界仰天ニュース」や「ベストハウス・ナントカ」というのを息子が見るようになったが、それらの番組も、頑張っているのは裏方のスタッフだけで、コメントをするタレントは、そのときどきの旬の人たちが、キャラに沿った言葉を適当に放つだけ。

これらの言葉も、放送作家が書いているのをそのまま読んでいるのでは、と疑いたくなるものばかりだった。

「ベストハウス~」などは、発表する出来事を「プレゼンする」などといっているが、プレゼンしている本人が体を張って情報を集めたわけではなく、スタッフが集めた面白い出来事を誰かさんが書いた言葉で発表しているだけである。

つまり、誰がプレゼンしても同じなのだ。

馬鹿にしてないか、こんな番組。

結局、息子は私に洗脳されっぱなしで、これらの番組を見なくなった。

テレビは、娘たちによってCS放送のK-POPの番組を見るために占領されている。

その結果、息子は、パソコンでYouTubeを見て笑うことが、彼の日常になった。


そうなったのは、すべて私の責任である。



死者何人

2011-03-02 11:52:34 | オヤジの日記
地震や災害などが起きると、必ず「死者○○人」という文字が大きく躍る。

それは、果たしていいことなのか、とひねくれものの私は考える。

数字で、災害の悲惨さを訴えたいのだろうが、数字を目にしただけで納得してしまわないだろうか。

本来なら、公にすべきことはたくさんあるはずなのに、それが数字に隠れてしまわないだろうか。

地震の規模を伝えるとき、マグニチュードという単位を使う。
震源地と深さも教えてくれる。
これは、わかりやすい。

そして、専門家が出てきて、ナントカプレートとナントカプレートが接するところで、大きな歪みが生まれて、大地震が発生しました、と説明してくれる。
これも、わかりやすい。

おそらく、誰もがわかる説明手法だと思う。

あとは、その地震がなぜ大きな被害を及ぼしたかも必要だろう。
崩れたビルの耐震強度は、どうなっていたのか。
救援隊は、規定どおりの素早さで来て、被災者を救ったのか。
ライフラインはどの程度被害を受け、復旧の見込みはいつになるのか。
政府や自治体の対応は、適切だったか。

いろいろ報道しなければいけないことがある。

しかし、センセーショナルに「死者何人」と書くと、そこですべてわかった気にならないだろうか。

「大変だ」
「地震は怖い」

そこで、終わってしまわないだろうか。

同時多発テロのとき、「死者何人」という報道が終わると、なぜか救助に携わった消防隊員がヒーローになった。

職業としての消防隊員を無理やりヒーローにする手法というのは、アメリカが抱えている対外問題の目を逸らそうとしているとしか、私には思えなかった。

政府とマスコミが手を組んで、ヒーローを作り上げ「アメリカの団結力」を示すために、世論を誘導したのではないか、と私は今でも疑っている。

だから、「死者何人」という報道は、何か大事なものを隠すために、誰かが情報操作をしているのではないかと、私は邪推しているのだ。


ただの邪推。

ひねくれものの邪推。