失敗した。
最初にガツンと言っておくべきだった。
2年前から毎週仕事をいただく人がいた。同業者の紹介で、いただいた仕事だ。
私は知らなかったのだが、新商品などをアピールするために、景品をつけることがあるらしい。スーパーマーケットなどに行くと、申し込み用紙が置いてあって、応募すると運がよければ、結構魅力的な景品が当たるという。
メーカーから頼まれて、その景品申込書を彼は作っていた。
10社以上のメーカーと契約して、景品申込書をプロデュースしていた。
たとえば、この商品なら何を景品として当てはめたらいいかをクライアントに提示するのである。
その商品の購買層を考えて、電動アシスト自転車を景品にしたり、温泉旅行、ロボット掃除機、最高級牛肉などを景品にして客を引きつけ購買欲を煽る仕事だ。
それを彼は、一人でこなしていた。
世の中には、懸賞マニアというのがいるらしい。
その人たちの意見を参考にしながら、魅力的な景品申込書を一人で作っていた。自分でパソコンを操って申込書を作っていたのだ。
しかし、2年前、「もう一人じゃ追い付かない」と限界を感じた彼は、自分は営業とプロデュースに専念して、制作は他のやつに任せた方がいいやんけ、と丸投げすることにした。
そのパスを受け取ったのが、私だった。
仕事は、水曜日と土曜日に集中していたので、その日は4時間程度空けて仕事に備えていた。
今週の水曜日も空けて待っていた。
だが、クライアントの気が変わって、仕事が1週間延期になった。
「Mさん、すみませんねえ。わざわざ空けておいてくれたのに、キャンセルになってしまって。どうですか、立川のサイゼリアで奢りますけど、いま来られますか」
彼、サノさんは、中央線立川に事務所を構えていたから、お隣さんだ。
国立駅から中央線に乗って手を降り続ければ、手を振ったまま3分間で立川駅に着く。そして、スキップしたまま改札を抜けたら、ドリブル2分でサイゼリアだ。
サノさんは、自称41歳と宣言しているから、おそらく41歳なのだと思う。私の自称272歳とは、明らかに違う。
さらに、見た目が若い。顔にも体にもたるんだところが見えない。血色もいい。35歳だと言われても7人のうち3人は信じるだろう。
サイゼリアでは、サノさんは、リブステーキとライス、ワインを頼んだ。私は、チョリソーとプロシュート、生ジョッキ2杯を注文した。
このとき、飲み物が先に出された。あらかじめ、オレ乾杯なんて薄っぺらな儀式はしませんから、と言っておいたので、乾杯は抜きよ。勝手に飲み始めた。
だが、ワインをひと息で飲んだサノさんが、いきなり喧嘩を売ってきたのだ。
「また、キュウシュンが、やってきましたね。ワクワクしませんか」
九州ですか。九州は、確かにワクワクする場所がたくさんありますが、九州は、やってこないでしょう。
いま大人気の俳優の横浜流星氏を11キロ太らせて、柳沢慎吾氏を40パーセント埋め込んだ独創的な笑顔で、サノさんが言った。
「何を言っているんですか! プロ野球と高校野球ですよ。僕、野球が大好きなんですよ。自分でもやってましたから」
「Mさんは、どこのチームのファンですか。巨人ですか、ソフトバンクですか」
ここにも天敵がいたか。
長い付き合いの友人や得意先は、私がプロ野球や高校野球、駅伝の話を振られると不機嫌になることを学習しているから、その話題は絶対に持ち出さない。封印された話題だ。
しかし、サノさんとは、2年のお付き合いだから、踏み込んだ話はしてこなかった。
失敗した。
最初に強烈に宣言しておくべきだった。しかし、今からでも遅くはない。この話は封印すべきだ。
私は言った。
サノさん、悪いんですけど、オレ、野球にまったく興味ないんですよ。だから、この話には、お付き合いできないんです。
すると急に顔の配置が、70パーセント柳沢慎吾氏に変化したサノさんが、「ウッソー!」とのけぞった。
「えー、なんでですか! 僕、高校野球に興味のない人に初めて出会いましたよ。なんでですかー」
なぜ、そこまで残念がる?
興味ないんだから、仕方なかろうが。
サノさんの顔面は、柳沢慎吾氏が、80パーセントまで膨張していた。
そして、サノさんはしつこかった。
「嘘でしょ。嘘って言ってくださいよ。だって、プロ野球や高校野球って、郷土愛を発揮する場所じゃないですか。Mさん、生まれは、どこですか」
東京ですけど。
「東京のチームを応援しようって気に、普通はなるでしょう」
じぇんじぇん。
「そんな人、いるのかー! それ、最初に言ってくださいよ。なんで、いまごろー、言うかなあ!」
確かに、それは私が悪い。はじめにガツンと言っておくべきだった。
でも、こんなに悔しがるとは思わなかったんですよ。その悔しがり方は、私の想像を超えていた。
まるで、300キロのマグロを釣ろうと沖に繰り出したのに、釣れたのはタコ一個だけというような悔しがり方ではないか。
「嘘でしょー!」
まだ言っている。
目の前で、リブステーキに食いつくその顔、100パーセント柳沢慎吾氏ではないか。
横浜流星氏は、どこに流された?
ところで、先週の日曜日、娘の高校3年のときの同級会が都内某所で開かれた。
娘のクラスは、40人くらいいたらしい。その中で今回出席したのは23人。まあまあの出席率だ。
娘が今も頻繁に会うお友だち6人も参加した。
そのほかは、「久しぶりー」だ。結婚して子どもができた子もいた。子どもができて結婚した人もいる。韓国に行って整形した子もいたという。
その「久しぶり」の中に、大きく変貌を遂げた男が、みんなの話題になった。
某一流大学を出たあと、ニューハーフになっていたのだ。
「ワタシ、彼氏と同棲しているのよね。今とっても幸せ」
高校のときは、小柄で目立たない子だった。だが、6年ぶりに会ったいま、同級会のメンバーの中で、一番生き生きしていたのは、彼?彼女?だったという。
「人生いろいろだな。正解は、ないのかもな」
そう言いながら、娘はスマートフォンで撮ったニューハーフの子を見せてくれた。
え? 柳沢慎吾にしか見えねえぞ。