リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

帰ってきた男

2015-11-22 08:23:00 | オヤジの日記
22歳年下の友人に、フクシマさんというのがいる。

埼玉桶川のイベント会社から仕事をいただくとき、いつも彼が担当だった。
付き合いは、10年くらいだろうか。

通称、おバカなフクシマ。

フクシマさんとは、毎回仕事の打ち合わせを2時間程度したが、そのうちの1時間40分は打ち合わせではなく、バカ話である。

たとえば、桜の季節なら、「ソメイヨシノが咲き始めましたねえ」から始まって、「染井佳乃さんて人、絶対いますよね」とバカ話をフクシマさんが振ってくる。

ああ、確かに日本全国に5人はいそうな気がしますね。

「たとえば、銀行で『染井佳乃様』って呼ばれる声を聞いたら、オレ絶対にその人の下にゴザを敷いて、酒を飲み始めますね」

焼き鳥も食いましょうか。

「そうそう。そして、ああ、七分咲きかな、満開かな、なんて言って、またビールをゴクリ」

いや、もうじき葉桜だろ。
姥桜かあ、なんてね。

「そして、染井佳乃さんに、ボコボコに殴られる、と」

・・・・・というようなおバカな会話をそのときの気分で延々と続けたものである。


そのフクシマさんは、実は繊細で真面目なおバカだった。

東日本大震災の二ヶ月後、彼の勤める桶川のイベント会社の社長が、毎週末ボランティアンのため宮城県を訪問した。
社長は、宮城県塩竈市の出身だったからだ。

そのとき、フクシマさんは、社長から誘われたわけでもないに、志願してボランティアに参加した。
その場所で、フクシマさんが何を見て何を感じたのかはわからない。
聞いたことがない。

しかし、毎週末宮城県に行っていたフクシマさんの顔から徐々に表情が消えていったことが、その現場の凄まじさを物語っていたと思う。

フクシマさんの顔から笑顔が消え、表情がなくなったその夏の8月に、フクシマさんは医師から「うつ病」と診断されることになる。
そして、医師から会社を休むことを勧められたフクシマさんは、同時に社長から無期限休職を言い渡された。

「Mさん、オレ、どこまで行っちゃうんでしょうか」
無表情に、テーブルの1点を見つめたまま、フクシマさんが言ったとき、私は頭が混乱して答えを返すことができなかった。

22歳も年が上なのに、情けない男だ、と自分を責めた。


フクシマさんが、医師と奥さんと子どもさん二人のサポートを受け、鬱からの脱却を図ろうとしている間、半年に一回程度、私はフクシマさんの奥さんに電話をして、病状を聞いた。
そして、奥さんはそんな私に気を使って、必ずフクシマさんを電話口に出してくれたのである。

もちろん会話にはならなかった。
10秒くらい、私がフクシマさんに一方的に言葉を投げかけただけだった。
電話を切るとき、私が、また今度、と言っても返事は帰ってこなかった。

自分勝手だとは思ったが、私はフクシマさんとの縁を断ち切りたくなかったので、迷惑を承知で、その後も半年の時間をおいて電話をかけた。
そして、10秒間だけ話しかけた。

劇的に良くなることはなかったが、フクシマさんは、少しずつ回復していって、昨年の夏から桶川の社長の知り合いの会社に「ゲスト扱い」で勤めることになった。
社会復帰を医師から勧められたからである。

私は、その会社の社長のことも知っていたので、迷惑かと思ったが、何度か状況確認のため、社長に電話をかけた。
その度に、社長に「会いに来たらどうですか。みんなとはそれなりにコミュニケーションをとれてますよ」と言われた。

それを聞いて、砲弾と爆弾を持たなければ安心できないテロリストより臆病者の私は、みんなと順調にコミュニケーションがとれているフクシマさんが、私に対してだけは、よそよそしい態度をとったらどうしよう、と思い悩み、社長の提案を毎回断った。

そして、月日は移って、今年の二月のことだった。
その会社から仕事をいただくことになった私は、通された応接室で、檻の中の虎のようにウロウロと徘徊することを繰り返した。
フクシマさんと会うこともあるかもしれない、と思ったら、落ち着いてケツをソファに下ろすことができなかったのだ。

もし会ったら、俺はどんな態度を取ればいいのだろうか。

そんな風にウジウジと悩み、徘徊していた私の上半身に、突然強烈な違和感が襲った。
腰に絡みつく両手の感触。
それは、3年半ぶりの感触だった。


あの男が、帰ってきた。


それを確信したとき、私はその男の腋をくすぐっていた。

「ギャハハハハハーーーー!」

おバカなフクシマさんの弱点は、脇をくすぐられることだった。
悶え笑うフクシマさんが、目の前にいた。

「Mさん、オレ、帰ってきましたよ」

半年に一度の電話のとき、私は10秒間の話しかけの中で、「帰ってきてくださいよ」と必ず囁いていたのである。
フクシマさんは、それを覚えていてくれて、本当に「帰ってきてくれた」のだ。

おバカなフクシマさんが、昔のおバカ顔で言った。
「親や兄弟、会社の人たちの誰もが『頑張れよ』と言っているとき、女房と子ども、Mさんだけが、『頑張れ』って言わなかった。そして、Mさんの『帰ってこい』のことば。オレ、かなり救われたと思いますよ。だから、帰ってこれたんです。ありがとうございます」

頭を下げられて、また抱きつかれた。
また腋をくすぐった。

3年半の空白が、一気に吹き飛んだ瞬間だった。


おバカに向かって、私は言った。

ほら、「リアルに終らない旅はない」「ガチでやまない雨はない」という、有名な出川哲朗師匠の名言がありますよね。
だから、出川師匠を尊敬するフクシマさんなら、帰ってきて当然です。
それが、あなたの運命だったんです。

「そうそう、確かに、出川も言ってましたよね。聞いたことがあります。あれは、心に響く言葉だ・・・・・・・・お~~い、そんなこと、あるか~~い!


ノリツッコミのクオリティは、以前に比べて落ちてはいるが、おバカが復活したのは間違いがない。


おバカのフクシマ。



ほんとうに お帰りなさい

待ってました