だいぶ前のことだが、県立高校の担任が、自校の入学式に参列せず、休みを取って自分の子どもの入学式に参加したというニュースを見た。
それに対して、生徒の保護者の一部が「最近の教師は教え子より自分の子どもの入学式の方が大切なのか」とクレームを付けたらしい。
そして、そのことに関して、教育長が、「生徒が安心して高校生活をスタートできる体制づくりと心配りに努めてほしい」と異例の“注意”を促したらしい。
しかし、これから教え子になる子より、自分の子どもの方が大切なのは当たり前だと私は思うのだが、それは非常識なことなのか。
教師は、無断で休んだわけではない。
ましてや、入学式を台無しにしたわけでもない。
入学式は、普通に執り行われたというのだから、私には何が問題なのかわからない。
有給を取って、自分の子どもの入学式に出席する。
労働者として、誰もがしていることではないのか。
いったい、クレームを付けた人は、教育者に、何を求めているのだろう。
あなたたちだって、仕事先に休暇願いを出して、入学式に参加したのではないのか。
同じではないか。
教師だけは特別だと思っているのか。
仮定の話をするのは鼻白むものだが、私だったら、私の子どもの担任が、自分の子どもの入学式を優先したことに共感こそすれ、批判する気にはならない。
緊急事態のときに、生徒たちを蔑ろにした場合は、非難されて当然だが、入学式は緊急事態ではない。
ただの儀式だ。
そして、同じ儀式が重なった場合、「血」を優先するのは当たり前ではないだろうか。
十数年育て上げた自分の子どもの晴れ姿を見たいという、親の心情を誰も侵す権利はない。
教え子たちとは、これから友好な関係を築いていけばいい。
入学式だけがすべてではないだろう。
来賓として入学式に出席した江野幸一県議(刷新の会)は「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる」と憤慨しているという。
いつも思うのだが、政治家というのは、誰に向かって言っているのか、よくわからない人種だ。
そう思うのだったら、公に言わないで、直接本人たち(校長、担任)に問いただせば済むことではないか。
それで、話は簡単に伝わると思うのだが。
要するに、選挙用のパフォーマンスか。
この中で、一番ガッカリしたのは、教育長や校長の対応である。
どれほどの人がクレームを付けたかは知らないが、この程度のことは、クレームを付けた人にだけ事態を説明すれば済むことだと私は思っている。
謝る必要はない。
説明するだけでいい。
その上で、教師をかばうのが、上司の役目だ。
何でも謝ればいいというものではない。
部下をかばうのは、上司として、最小限の度量だ。
それさえも、彼らは出来ないのか。
教育者とは、そんなにも薄情な人種なのか。
親として当然のことをした人を、無闇に吊るし上げるクレーマーに加担することはない。
それは、教育ではない。
たちの悪い「言いがかり」「魔女狩り」だ。
そんなものに屈していたら、彼らは、味をしめて、もっと些細なことにもクレームを付けるだろう。
正当な批判には屈してもいいが、言いがかりは突っぱねるべきだ。
クレームを付けた保護者は、「自分の大事な子ども」の入学式に私的なことで欠席するなんて、けしからん、という感情論で憤っているのだろうが、それは、担任にとっての「自分の大事な子ども」のことを忘れた自分勝手な論理だ。
保護者の大事な子どもと担任の大事な子どもは、イコールである。
だったら、「血」を優先するのは、当然のことだと私は思っている。
そして、それは、全世界の血の通った親の共通の権利でもある。
保護者の子どもだけが重要なのではない、担任の子どもも重要なのだ。
その優先順位を理解できない人は、おそらく何を言っても無駄なのだろう。
「とにかく、私の子どもよ! 私の子どもだけが大事なの!」
相手の立場を慮れない人は、自分のポジションにしか関心がない。
普通の想像力さえも欠如した人は、誰に対しても身勝手な「自己」だけを主張する。
それが、つまりクレーマーだ。
そんなクレーマーの相手を真剣にすることはない。
説明責任だけは果たさなければいけないが、そのあとは、放っておいてもいいのではないだろうか。
これは、まったく違う話になるのだが、ある人がブログで、冒頭に、こんなことを書いた。
「皆様は、カレーチェーンの『Coco壱番屋』をご存じだろうか。」
この出だしの言葉に対して、あるFacebookユーザーが、「皆様は、カレーチェーンの『Coco壱番屋』をご存じだろうか。」とは偉そうに。無駄なフレーズだ。
というコメントを載せた。
どこが、偉そうなフレーズなのか、私には全く理解が出来ない。
「ご存じだろうか」という丁寧語、尊敬語を、「偉そうに」と捉える感性が私には全くわからない。
丁寧な言葉を使って、罵られるなら、彼にどんな言葉を使っても無駄だろう。
要するに、日本語が通じない。
飛躍した話になるが、こういった感性の人が、きっと、どんな小さなことでもクレームをつける人になるのだろうな、と私は勝手に想像している。
つまり、炎上の「核」だ。
普通のことを言っても、普通のことをしてもクレームを付ける人は、確実にいる。
そんな人まで相手にするのは、無駄な行為だ。
時間がもったいない。
そんなものは、無視した方が、ゼッタイにいい。
それに対して、生徒の保護者の一部が「最近の教師は教え子より自分の子どもの入学式の方が大切なのか」とクレームを付けたらしい。
そして、そのことに関して、教育長が、「生徒が安心して高校生活をスタートできる体制づくりと心配りに努めてほしい」と異例の“注意”を促したらしい。
しかし、これから教え子になる子より、自分の子どもの方が大切なのは当たり前だと私は思うのだが、それは非常識なことなのか。
教師は、無断で休んだわけではない。
ましてや、入学式を台無しにしたわけでもない。
入学式は、普通に執り行われたというのだから、私には何が問題なのかわからない。
有給を取って、自分の子どもの入学式に出席する。
労働者として、誰もがしていることではないのか。
いったい、クレームを付けた人は、教育者に、何を求めているのだろう。
あなたたちだって、仕事先に休暇願いを出して、入学式に参加したのではないのか。
同じではないか。
教師だけは特別だと思っているのか。
仮定の話をするのは鼻白むものだが、私だったら、私の子どもの担任が、自分の子どもの入学式を優先したことに共感こそすれ、批判する気にはならない。
緊急事態のときに、生徒たちを蔑ろにした場合は、非難されて当然だが、入学式は緊急事態ではない。
ただの儀式だ。
そして、同じ儀式が重なった場合、「血」を優先するのは当たり前ではないだろうか。
十数年育て上げた自分の子どもの晴れ姿を見たいという、親の心情を誰も侵す権利はない。
教え子たちとは、これから友好な関係を築いていけばいい。
入学式だけがすべてではないだろう。
来賓として入学式に出席した江野幸一県議(刷新の会)は「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる」と憤慨しているという。
いつも思うのだが、政治家というのは、誰に向かって言っているのか、よくわからない人種だ。
そう思うのだったら、公に言わないで、直接本人たち(校長、担任)に問いただせば済むことではないか。
それで、話は簡単に伝わると思うのだが。
要するに、選挙用のパフォーマンスか。
この中で、一番ガッカリしたのは、教育長や校長の対応である。
どれほどの人がクレームを付けたかは知らないが、この程度のことは、クレームを付けた人にだけ事態を説明すれば済むことだと私は思っている。
謝る必要はない。
説明するだけでいい。
その上で、教師をかばうのが、上司の役目だ。
何でも謝ればいいというものではない。
部下をかばうのは、上司として、最小限の度量だ。
それさえも、彼らは出来ないのか。
教育者とは、そんなにも薄情な人種なのか。
親として当然のことをした人を、無闇に吊るし上げるクレーマーに加担することはない。
それは、教育ではない。
たちの悪い「言いがかり」「魔女狩り」だ。
そんなものに屈していたら、彼らは、味をしめて、もっと些細なことにもクレームを付けるだろう。
正当な批判には屈してもいいが、言いがかりは突っぱねるべきだ。
クレームを付けた保護者は、「自分の大事な子ども」の入学式に私的なことで欠席するなんて、けしからん、という感情論で憤っているのだろうが、それは、担任にとっての「自分の大事な子ども」のことを忘れた自分勝手な論理だ。
保護者の大事な子どもと担任の大事な子どもは、イコールである。
だったら、「血」を優先するのは、当然のことだと私は思っている。
そして、それは、全世界の血の通った親の共通の権利でもある。
保護者の子どもだけが重要なのではない、担任の子どもも重要なのだ。
その優先順位を理解できない人は、おそらく何を言っても無駄なのだろう。
「とにかく、私の子どもよ! 私の子どもだけが大事なの!」
相手の立場を慮れない人は、自分のポジションにしか関心がない。
普通の想像力さえも欠如した人は、誰に対しても身勝手な「自己」だけを主張する。
それが、つまりクレーマーだ。
そんなクレーマーの相手を真剣にすることはない。
説明責任だけは果たさなければいけないが、そのあとは、放っておいてもいいのではないだろうか。
これは、まったく違う話になるのだが、ある人がブログで、冒頭に、こんなことを書いた。
「皆様は、カレーチェーンの『Coco壱番屋』をご存じだろうか。」
この出だしの言葉に対して、あるFacebookユーザーが、「皆様は、カレーチェーンの『Coco壱番屋』をご存じだろうか。」とは偉そうに。無駄なフレーズだ。
というコメントを載せた。
どこが、偉そうなフレーズなのか、私には全く理解が出来ない。
「ご存じだろうか」という丁寧語、尊敬語を、「偉そうに」と捉える感性が私には全くわからない。
丁寧な言葉を使って、罵られるなら、彼にどんな言葉を使っても無駄だろう。
要するに、日本語が通じない。
飛躍した話になるが、こういった感性の人が、きっと、どんな小さなことでもクレームをつける人になるのだろうな、と私は勝手に想像している。
つまり、炎上の「核」だ。
普通のことを言っても、普通のことをしてもクレームを付ける人は、確実にいる。
そんな人まで相手にするのは、無駄な行為だ。
時間がもったいない。
そんなものは、無視した方が、ゼッタイにいい。